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廃墟の予感! 赤城クローネンベルク/群馬ドイツ村閉園だって!

日本には、ドイツ村が二つあるのを知っていますか。

ひとつは千葉県にある広大無辺な敷地を誇る東京ドイツ村。そしてもう一つは群馬県赤城山山麓にある「赤城クローネンベルク」(群馬ドイツ村)だ。 

 

 北関東の片田舎に住んでいる僕は子供が小さい頃日帰りで行ける範囲の遊び場は殆んど行き尽くしたのだが、つい先日、このニュースを知った。

 

news.livedoor.com

 

 へええ。確か2012年の春頃に、下の娘を連れて出かけたはずだ。いい感じに寂れた地方のテーマパークだった。そこが今月、閉園しようとしている。

 それこそもう廃墟目前ではないか。おそらく、あんな山の中の施設を再利用しようとするわけないだろうし、壊すのにも費用がかかる。数年後には、きっと廃墟好きの訪れるべきスポットとしてその名を馳せるのではなかろうか。

 

 その群馬ドイツ村は廃墟になる前の姿を記録しておこうと僕は中1の娘と共に朝早く出かけ、たどり着きました。11時くらいに着いたのだけれど、ニュースの効果もあってか、そこそこの人出。つっても混み合うほどではないけど。

 

    ものすごく天気が良くてコペンドライブにはぴったり。ここが入口です。

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 入場料が1200円というやや高めの設定。この値段も客足が遠のく一因では?さて、ゲートをくぐると早速ドイツっぽい建物が前方にそびえ立つ。

 

      ここがドイツです、と言われれば「そうかも」という雰囲気はある。       

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 そびえ立つ塔の下には売店があり、とりあえず入ってみるといきなりこんなん発見。

 

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 誰ひとり挑戦するものがいない。やろうと思ったがそもそも、台紙が無い。よく見ると、紙は自分で用意してくださいとか書いてある。紙なんて持ってこないっつーの!

 キーワードは「ウ」だそうです。仕方がないので店をうろつくと、ドイツの民族衣装のレンタルあり。1日3000円くらいだった。当然、誰もレンタルせず!出来た当初は結構着た人もいたのだろうか。

 

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   中央広場に出ると、なんとなくヨーロッパの町並みを再現はしている。

 

          むしろ、娘の身長の大きさを写真で確認して驚く。

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      それでは、しばらくこの広場を探索してみよう。

 

ドイツはバイエルン地方へとやってきました!背後にある時計塔は16世紀に建てられた由緒ある建築物だそうです。(※実際は群馬県です)

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古くからの街並みや石畳に囲まれたカフェは中世を彷彿とさせる重厚な雰囲気をまとっており、歴史の重みをいやがうえにも感じることができる。(※実際は群馬県です)

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場所を移動し広場を上から俯瞰すると、狂王ルートヴィヒ2世の建てたノイシュヴァンシュタイン城が遥か彼方にそびえ立ち、ゲルマン民族の特異性を象徴する騎士道精神を如実に感じ取ることができる。(※実際は群馬県です)

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 ここだけ見るとそんなに悪い場所でもないように見えるでしょ。ドイツ感、そこそこありました?しかし、実際にこの場所を数十メートル移動しただけで・・・

           

          突然畑。群馬感がすごい。お前はまだグンマーを知らない。

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 まあ、これはこれでいいんだけど。で、だんだんこのテーマパークの本領が発揮されていくわけ。ちらほらドイツ風の演出が申し訳程度にされているのが遣る瀬のない空気を醸し出す。

    園内のスピーカーからは常にドイツ民謡がガンガン流され、無理やりドイツ感を演出。

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この手の公園ではお馴染みの列車風バス。そして、こ汚い沼のような池ではスワンボートに乗って遊ぶこともできる。3人乗り20分900円。高っ!

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 さてその先にはこのテーマパークのもうひとつのウリ(?)であるゲームセンターが存在する。地方の遊園地の風情を思う存分感じることができるこういう場所は今や貴重。富岡製糸場世界遺産に登録している場合じゃないぞ!

 

    この長屋のような建物の中にはクレーンゲームやその他魅力的なゲームがたくさん! 

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 そのゲーセンコーナーの片隅の壁画。右の写真の人物、ウチの親父にそっくり

        親父!こんなとこでおどけてる場合じゃないでしょ!

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                明日に続く!

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騙されたつもりで読んで!

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九段下にある昭和館という本気の博物館

 地下鉄でゾンビに遭遇したりしながら、着きました昭和館

www.showakan.go.jp

           館内パンフがやたらと充実している。

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 友人たちとは年に2~3回会うのだけれど、その都度東京を散歩し博物館やら面白スポットやらをいい年してめぐる僕。今年のGWはこんな感じで。 

otominarukami.hatenablog.com

  

 モヤさまフリークの僕としてはこういうマイナースポット(失礼)を訪れて楽しむのが定番。今回は目的地の有楽町の途中にある場所であり、入場料も300円と安かったので気軽に来訪。これが甘かった。

      まずは入口の記念スポットで撮影。後にふざけを後悔。看板の絵が、もう。

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 エレベーターを上がり、7階へ到着するとこのようなスポットがあるので撮影。

 

           後にふざけを後悔。つって写真は載せてるけど。

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 内部は撮影禁止だったので、いきおい鑑賞が中心となる。「昭和館」という博物館名だが、実質は太平洋戦争中の日本の生活の紹介がメイン。だからパンフにも「戦中・戦後の国民の労苦を次世代に伝える国立の施設です」と書いてあり展示は本気度が高い。靖国神社が近くにあるという立地も意味があるのだろう。

 だから昭和のノスタルジーとか、古き良き時代、とかを期待していくと冷水を浴びせられる。それを味わうのなら上野の風俗博物館や柴又の寅さん博物館、お台場に行くべきだろう。

 冒頭から「家族の別れ」というエリアになっておりそこに展示してあるのは千人針や召集令状、血書といった悲痛な思いのこもったものばかり。これを持っていた人で、無事に帰れた人はどれだけいたのだろうか。

 

 数多くの映画や書物で戦争の悲惨さは知っていても、どこか別世界の話だとしか思えない。それほど幸せに僕は生きてきたが、この展示を見るとつくづく時代性の恐ろしさや運命といったものを考えてしまう。展示はこれ以降も戦争の悲惨さを伝える内容が続く。見ている僕ら、言葉少なになる。

 確かに次世代の僕らに労苦は伝わる。友人の若い妻は再び来たいという旨のことを言っていた。

 

 僕の読んだ中での戦争の恐ろしさを感じた本をいくつか挙げてみます。

 吉村昭は『戦艦武蔵』が有名だけれど、こちらの短編集もすごい。「艦首切断」が評判だが、僕は「敵前逃亡」にものすごいショックを受けた。

空白の戦記 (新潮文庫 よ 5-9)

空白の戦記 (新潮文庫 よ 5-9)

 

 こちらはあまりにも有名だろう。映画はまだ途中までしか観てない。

野火 (新潮文庫)

野火 (新潮文庫)

 

 あと二冊ほど。

桜島・日の果て・幻化 (講談社文芸文庫)

桜島・日の果て・幻化 (講談社文芸文庫)

 

 

 「暗い絵」は 冒頭のブリューゲル的絵画の解説からしてそれこそ暗い。「顔の中の赤い月」は戦後の話だが戦争が人に与える影響を日常生活の中で描き出した傑作。僕これを初めて読んだときはえも言われぬ感動に包まれた。

暗い絵・顔の中の赤い月 (講談社文芸文庫)

暗い絵・顔の中の赤い月 (講談社文芸文庫)

 

 

 さて、たまには真面目に考えたりもしますが、ユーモアも必要。結局こんな写真はとったりして。

 防空壕での緊張した時間。近くのボタンを押すと空襲警報が鳴り響き、びびる。先日のJアラートがなった時のテレビが全て真っ赤な警告画面になった時の恐ろしさを思い出す。階下には体験コーナーがあり、コスプレも可能。でもやはり多少気分が落ち込む感じ。

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  さて、その後昭和館をあとにして有楽町でもう一人の友人と合流、久闊を叙し、盃を交わす。その後4時間ほどぶっ続けでトーク。話はドストエフスキーからブレードランナー、マイケルシェンカーからビートルズ、ドラムの叩き方、ベースの弾き方、子供の成長などキリがない。しかしやはり大学時代の友人とのおしゃべりが一番楽しい。興味関心が近い上に同時代を生きたという友人たちはそれこそ人生における宝物だ。今の時代に生まれて幸せだと、虹の足のふもとにいる自分に気づく。

 

古事記の神様とバンドマンが荒ぶる神と戦う話です。頓挫してるけど。

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雨の下北沢を軽く逍遥し、地下鉄でゾンビに遭遇

 10月28日、澁澤龍彦展を見たあと、大学時代の友人と新宿で合流。久しぶりの新宿の人の多さにあてられる。三丁目まで歩いて新宿末広亭そばにある地下のレストランで昼食。昔ながらの洋食屋でステーキが千円と安い。味は千円の味。

 

 着ている僕が言うのもなんだけれど、東京はダブルのライダースジャケットがやたらと流行っていた。男も、女もよく着ている人を見かけた。

 ユニクロでネオレザーとかいう意味不明の素材のジャケットを売っているのも一因か。でもどのショップに行っても最近は大体それが置いてあって、完全にトレンドとして扱われている。

 ライダースはもはや定番のジャケットだが、ひと昔ならバイク乗りかバンドマン、それもパンクやメタル好きしか着なかった服がファッションアイテムになっているのは複雑な気分。

 

 僕が若かった頃は(おじさんの回想ですいませんねえ)ライダースといえばSCHOTTの一択で、

バイト代を貯めてようやく手に入れたゴワゴワのワンスターを501に合わせて着ていた。僕の周りのバンド友人は僕を含めて大体皆同じ服装をしていたっけ。

 

 冬などにそういう仲間が数人で友人の家に泊まるとき、こたつでライダースを着たまま(寒いので)一晩を過ごすのだが、深夜に寝静まってから誰かが寝返りを打つとライダースの革がすれてきゅきゅ、という音を立てるのだ。で、暗闇で「革がうるせえ」などとつぶやいてみんな爆笑する。そういう友人と今もつながり、この日もこうやって会っているわけだ。友達っていいよね。

 

 ダブルのライダース、今は様々なブランドがリリースし合皮で安いものなら数千円で買えるというご時世だ。バンドTシャツをそのバンドの曲も知らずに着ているのと同じ感覚なのだろうか。

 

いちいち他人のライダースをチェックするいんちきファッションブロガー。で、自分もダブルライダース

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 余計な話になってしまった。この後、雨がぱらついてきてどこへ行こうか、という話になり久しぶりに下北沢へ行こうということになった。

 小田急線に乗って着いた下北沢は結構な雨降り。とりあえず開かずの踏切がなくなったというので場所を確認する。

 

            昔は僕の後ろに真っ直ぐに線路が伸びていた。

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 雨降りの中歩く下北沢、結構しんどい。特に目的もないのだけれど、せっかく来たので昔よく通った古着屋の「シカゴ」へ行ってみる。

 

     ここでよく古着を買ったもんだ。今回は店も入らない。今更買うものもないしね。

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 店の外に売られているジーンズをみて驚愕。ケミカルウォッシュジーンズ発見。

 

        ケミカルウォルフェアー!ってそれはスレイヤーの名曲!

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 知ってる?ケミカルウォッシュって。上の写真だと良く分からないかもしれないけれど、なんというか細かいまだら状の模様がケミカル作用によってつけられており、80年代後半から90年代前半にかけてヤタラ流行っていたのだ。

 

今でもアマゾンでたくさん売っているのね。それにしても、これ誰が買うのだろう。裾の絞りとか恐ろしくダサくないか。

  僕は当時からこの柄には疑問を持っており、当然そのダサ加減に気づいていた人からは揶揄の対象になっていたのだが、結構多くの人がこれを好んで履いていた。とかいって、僕もロンドンスリム(今で言うスキニータイプのジーンズ。大体それを履くのはヘビメタ好きの人間だった)を履きキャンバスで浮いていたと思うが。

 

 これを久しぶりに見て相変わらずダサいなと思っていたら同行していた友人の細君(僕らより20歳ほど年下!しかもアパレル関係)が「かわいい!履きたい」というのを聞いて驚く。ファッションは回帰するというが、そういうものなのだろうか。

 

 友人たちとケミカルウォッシュジーンズについて哲学的考察を加えて話しながら渋谷に移動。地下のショットバーに入ると店員が全員ミニオンズのコスプレをしている。そうか、もうすぐハロウィンではないか。あっ、ハロウィンといえば数日前にこれを発見。

 

  最初の1~2分は曲が始まりませんが、メロディーが入ったとたん、ああ!これ!となる。

    www.youtube.com

 

 ジョン・カーペンター作曲のホラー映画の名曲をNINのトレント・レズナーが相棒のアッティカス・ロスとカヴァー。どういう風の吹き回しだろう。かっこいいけど。

 

 閑話休題

 久しぶりに都会のバーに立ち寄り、キャッシュアンドデリバリーでドリンクを頼むという行為を通して、そういえば僕はこういう店でいっちょ前に酒を飲むことができるいい大人だったのだ、と思った。片田舎に住んでいる僕は殆んどこういう店に行くことがないのだ。

   何かを勘違いしているアハアハおじさん。頼んだパンプキンチュロスが結構美味しかった。

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 5時にもう一人の友人と合流するのだがまだそれまで小一時間ほど時間が余っているのどうするか協議した結果、九段下に「昭和館」という博物館があるのでそこに寄って時間をつぶそうということになった。僕は東京の有名どころの博物館はほぼ行っていると思うのだがこちらはまだ行ったことがなかったので即座に同意。ただ、そこは確か噂によると結構展示内容がヘビーではなかったっけ?という記憶がよぎる。

 

 半蔵門線に乗って移動するのだが、ハロウィンが近いせいか、コスプレをしている人間によく出会う。マリオの格好をした大人。まあ、それはいいとして、途中で乗ってきたのが強烈だった。いきなり顔面が血まみれ。 ゾンビかと思った。

実際はもっと気持ち悪くて、口の周りの部分がなぜかジッパーで囲われていてそこが血まみれ。着ている服も白衣に地糊が飛び散ったようなコート。しかもそれが自作ではなく、既製品として売っているような服だった。どこで買ったんだ。いくらしたんだ。

  思わず僕は「うわ」と声が出た。よくそれで地下鉄に一人で乗ったよね。さすがに本人もそれは自覚しているのか、車両の壁に顔をくっつけてなるべく目立たないようにしていたのが何か悲しかった。友人と合流して町を練り歩き、その時は楽しいだろうが一人になった時の寂しさよ。

 

 昭和館は明日書きます

 

こういう小説も書いているのですが、あまり読まれないので中断しています。僕はいいと思うのですが、難しいね。つまりは読んでください。

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ドラコニア逍遥の続。澁澤龍彦展にて

 ブレードランナー2049を観たのでこちらの話が飛んでしまった。

「ドラコニア」とは龍彦の「龍」の国、竜の支配する領土という意味だそうだ。   澁澤龍彦展、どうだったか。

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前回のあらすじ

otominarukami.hatenablog.com

 

 内部は撮影禁止だったので写真はないんだけど、僕の手持ちの本でそれを再現できればと思います。まず会場に入るといきなり彼の愛用していた地球儀が飾られている。澁澤氏は球体が好きであったらしい。

 

こちら会場で購入したポストカード。鎌倉にある自宅、書斎の風景。部屋を埋め尽くす本、本、本。そして机の上にある地球儀がそれだ。

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 そうして次には彼の集めたオブジェや絵がいくつか飾られていた。中西夏之氏制作の「コンパクト・オブジェ」の実物を拝見。

        

 次にメインの展示である自筆原稿の数々。まずは遺作となった『高丘親王航海記』のスケジュールや自筆原稿を丹念に鑑賞する。渋澤氏の字はかわいい。非常に読みやすい字だ。ケースの横にはさりげなく氏の愛用していたトレードマークのサングラスや愛用のパイプが置かれており、「ああ、これがあのサングラスなんだな!」と感無量。

 

 小説はそんなに残してはいないんだけれど、その博学を生かした奇想天外な小説はめくるめく幻想。

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 小説といえばこの『高丘親王航海記』が有名だけれど(平安時代の実在の人物、高丘親王が天竺を目指し旅をする。途中様々な幻想的な出来事に遭遇する。歴史的事件「薬子の乱」の藤原薬子が重要人物として登場する)、僕は初期の短編『撲滅の賦』や『エピクロスの肋骨』などが好き。どちらも不思議な作品です。

 

 今はワープロソフトで簡単に間違いや原稿の修正が出来る時代だが、自筆原稿の場合はどのように作家が作品を完成させていったのかがひと目で理解できるので非常に興味深い。そして肉筆から作家の息遣いまでもがこちらに伝わってくるようだ。

 細かく見るとキリがないので(午後から友人と会う約束もあったので)ある程度割愛しながら鑑賞する。すると展示の中に書斎を再現した(といっても断片的にだけれど)コーナーがあり、ファンにとっては有名なあのオブジェ棚が飾られていいるではないか!

   

 次にまさかと思ったが土井典氏制作のハンス・ベルメール球体関節人形が展示されており、こちらもちょっとした驚き。事情を知らない人が見ると眉をひそめそうなオブジェである。

        

 

 四谷シモン氏の少女人形は飾ってはいなかったが、彼の家に飾られていたいくつかの絵画は出品されていた。

  

そのほか関連した雑誌(「アン・アン」!や「血と薔薇」など)の展示や高丘親王航海記の裏表紙に合った自筆の地図も展示されていた。

 

      

 あるコーナーでは暗黒舞踏家、故 土方巽氏の弔文を読む音声が繰り返し流されており、思いのほか声のトーンが高いことがわかる。

  

 そのほか埴谷雄高氏あてに送った書簡は鳥肌もの。この二人の交友は僕にとってバットマンVSスーパーマンみたいなものだ。違うか。

 また氏は晩年咽頭がんを患い、それがもとで他界してしまう。手術により、声を失った彼は筆談で妻や、友人たちと意思疎通をしていたのだが、そのいくつかのメモも飾られており非常に興味深いものだった。

曰く

「うどんがたべたい」

「チェーンソーはしらないでしょ」

「ブスという言葉を使ってはいけない」

などと彼の著作とはまた違い、ほのぼのとした印象が大変微笑ましかった。

 

とにかくファンにとっては充実の内容だった。まだやってますから、興味のある方はぜひお出かけください。さて、明日は友人とのぶらっとプチトリップの報告をします。

 

ヘビーメタル小説の方はおかげさまで5700PV行きました。こちらのジュブナイルも読んでください。

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ブレードランナー2049を観た。確かに観た! BLADE RUNNER2049!

      そんなにあっても仕方がないのだけれど、チラシ4枚もらいました。

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 去年の終わりから期待が膨らみまくっていたブレードランナー2049。待ち遠しくてこんな記事ばっか書いていた。

 otominarukami.hatenablog.com

 

otominarukami.hatenablog.com

 

otominarukami.hatenablog.com

 

 そうしてようやく本日鑑賞することができた「ブレードランナー2049」。

 

www.youtube.com

 

 163分という長尺だが、『ブレードランナー』の続編としてこれ以上ない、そうあるべき作品だと思いました。今回は思わず普段はあまり買わないパンフレットを即買い!

 

  自動車のカタログではなく、映画のパンフです。スタイリッシュ。スピナーが金色で縁どられている。

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        注意!ここからネタバレしますよ!

 

 気分を盛り上げるために、現在サントラを聴きながら書いている僕、ボンクラ。

 前作を観ている前提で書くよ。

 

 ドーン!という音とあの耳に親しい電子音が流れる。そして、画面に大写しにされるグリーンの瞳。まさに前作のオマージュでこの映画は幕を開ける。このグリーンの瞳が誰のものかは後に明らかになるのだが、すぐに広大なソーラーパネルの上を飛ぶスピナーの映像に切り替わる・・・。曲はヴァンゲリスではなくハンス・ジマーがメイン。ジマーのスコアは盟友クリストファー・ノーランの映画のように主張はせず、ほとんど鳴らない。唯一ノイジーでワウのかかった暴力的な曲が印象的だった。

 

 デッカードとレイチェルが姿を消してから30年後の話なんだけれど、最近のリドリー・スコット関連の作品の常套なのか、映画以外の短編作品がYOUTUBEで公開されそれを見た人はより映画の世界観を理解できるようになっている。まずはこちらの事件を描いた日本製アニメ。

 

     www.youtube.com

 

 レプリカントであるネクサス8型が起こした大規模テロ事件「ブラックアウト」の顛末。核ミサイル爆破、電磁パルスの二段構えでアメリカのインフラは数ヶ月間停止。レプリカントに関するデータはほとんどが消え、人間に紛れ込んだ彼らを探し出すことが困難となる。これが引き金となってレプリカント製造中止法が定められる一方で、地球外世界(オフワールド)の開拓のための労働力が著しく不足することになる。

 

 レプリカント中止の煽りを受け倒産したタイレル社を食料問題を解決した盲目の科学者ウォレスの経営するウォレス社が買収し、人間に従順なネクサス9型を開発する。

 

死ねと命令されると、それに従うレプリカント。このあともウォレスはレプリカントを殺しまくり。

    www.youtube.com

 

 一方人間世界に紛れ込んでいたネクサス8型のザッパーは少女を助けるためにトラブルに巻き込まれる。

 

リドリー・スコットの息子、ルークの監督作品。雑然とした街並みはまさにブレードランナーそのもの。

    www.youtube.com

 

 この事件がもとで捜査官K(ライアン・ゴスリング)の訪問を受けるシーンから映画が始まる。

 

 僕は最近はどの映画もそうなんだけどなるべく予告編を観ないで映画館へ赴くようにしている。でも、やっぱりブレードランナー、見ちゃうじゃない。その予告の中でKに向かって「あなたは特別」というセリフをとある女性がつぶやいているシーンがあった。そうしてテロップには「秘密を知る覚悟があるか」と出る。もうこの時点でネタバレ?どうせライアンは捜査中に自分がレプリカントだと気づいてアイデンティティが揺らぐんでしょ、と思った僕、浅薄だった。

 冒頭で実にあっさりとKレプリカント、新型であるネクサス9だということが明かされる。彼は同類を処理するレプリカントブレードランナーだったのだ。ザッパーはKに撃たれる直前「奇跡を目にしたことはあるか」という言葉を残す。

 この言葉はそのまま後の重要な伏線となる。

 ザッパーの家にあった枯れた大木の下には遺骨が埋葬されており、ウォレス社のアーカイヴによってそれがなんとレイチェルのものだと判明する。

 

 しかもレイチェルの死因は分娩によるものだった。レプリカントが子を産む!

 この事実が人間とレプリカントの境界線を曖昧にしかねない出来事と認識したKの上司マダムは、生まれた子供の処理をKに命じる。

 そうして折々の場面ではあのお馴染みのロスアンジェルスの模倣し尽くされた雑踏が登場する。「SONY」のネオンはソニー・ピクチャーズエンタテインメントであるがゆえに大々的に映し出され、コカ・コーラそのた大企業のネオンやホログラムがこれでもかと登場する。

 

 一方ウォレス(ジャレッド・レト)は効率よくレプリカントを増やすためにネクサス9による繁殖を試みるが失敗する。失敗した個体の腹を切り裂くウォレス。それを見て涙する彼の忠実なるレプリカント、ラヴにウォレスはレイチェルとデッカードの子供の捜索を命じる。レプリカントの繁殖を成功させるにはその子供が鍵となるのだ。

 このラヴ役の女優、シルヴィア・フークスは素晴らしい演技。

  

 家に帰ったKはホログラムであるジョイ(アナ・デ・アルマス)に今日の出来事を語る。ジョイはウォレス社の作ったホログラム人格で、顧客に合わせ会話を交わし、そのデータを蓄積することにより個性化するようだ。このあたり、ディック的なアイディア。原作小説の「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」に出てきたムード・オルガンを彷彿とさせる。

 レプリカントであるKはジョイとの会話を唯一の慰めとしている。彼はザッパーを処理した報酬でジョイのホロをどこでも投影することができる端末を買い、彼女と初めて雨の降る夜の外へと出る。ジョイはまるで本物の人間のように雨を感じ(ているように振舞う)、形のない自分の体を精一杯Kの体に合わせて抱擁しようとする。レプリカントとホロの恋はかくも切ない。

 

 デッカードを探すためKは元同僚で、現在は養老院にいるガフのもとを訪れる。なんとそのままエドワード・ジェームス・オルモフがガフを演じている!感激。結局のところ情報はガフからは得られないのだが、相変わらず彼は折り紙に興じているのだ。そうして作り上げたものはなんと羊!アンドロイドは電気羊の夢をみるのか?

 

 Kには唯一記憶があった。それは地下の工場のような場所で、自分の宝物である小さな木馬を握りしめ、とある場所に隠すというものだ。そしてその木馬の足には「6 10 21」(=2021年10月6日)と刻まれている。これが彼の記憶の全てなのだがもう一度ザッパーの家の木を調べたKはその根元に刻まれた同じ「6 10 21」を発見し驚愕する。これは偶然の一致にしては出来すぎている。

 Kはひょっとして自分がデッカードとレイチェルの子供ではないかと考え始める。だとすれば、自分は製造されたレプリカントではなく、奇跡の子供だ。これは僕の予想と全く逆の話になっていた。よくこの脚本を考えたなー。脚本は前作同様ハンプトン・ファンチャーだった。まさにこの脚本あっての続編だと思った。

 

 さてこうなると観客はKがひょっとしてデッカードの子供ではないかと思い始め、Kとともに赴くことになる。Kは子供が孤児院にいたことを突き止めその資料を探し当てる。すると、全く同じDNAを持った男女一対のデータを見つける。そして女児の方は死亡し、男児は行方不明になっているではないか。Kは孤児院のある場所へ赴くのだがそこはスラム化した地区で彼のスピナーは電磁パルス砲のようなものを打ち込まれ墜落する。暴徒に襲われそうになったKだが上空から発射された数発のミサイルが彼を救う。Kを監視しているラヴが打ち込んだのだ。実際、この映画は前作同様地味で、こういう派手なシーンもあることはあるがむしろ謎解きの方に重点が置かれている。そしてそれは正しい選択であると思う。まさに、これこそSFフィルム・ノワールではないか。

 

 結局孤児院の子供のデータは破棄されていたのだが、Kはそこで記憶に出てくる場所に遭遇し、記憶通り木馬を探し当てるのだ。ひょっとしたら、やはり自分はその子供ではないのか?彼はそれを確かめるべく、記憶を作成した技師、アナ・ステラインを尋ねる。アナは免疫不全で8歳の頃からガラス室暮らしの技師だが、その生活から得るイマジネーション性で記憶移植能力を高く評価されている。Kはアナに診断してもらうのだが、その記憶はやはり誰かのものであるとわかり、絶望する。

 自分はひょっとして特別な者だと思い始めていた矢先、その僅かな希望は無残に打ち砕かれるのだ。彼の悲痛な叫びが迫ってくるシーンだ。

 

 では一体この記憶の持ち主である子供はどこにいるのだろうか。

 Kはその謎を解くため解任中であるにもかかわらず木馬の放射線からラスベガスにデッカードがいると判断し、ホロのジョイの端末とともにそこへ向かう。この廃墟となったラスベガスは圧巻だ。おそらくアメリカ人なら馴染みの深いオブジェなのだろう、巨大なセットは予告編でも見ることができるように、圧倒的だ。

  

 そして、ついにデッカードが登場する。子供の行方が一向にしれないのでKはまだ自分がその人物であるのではないかという希望を捨てきれないままデッカードに質問し、ようやく「レイチェル」という名前を聞き出す。その矢先、ラヴの急襲でデッカードはさらわれ、Kはしこたま痛めつけられ、ジョイのホロ装置はぶち壊され散々な目にあってその場に取り残される。

 

 デッカードはウォレスに仲間の居場所を問われる。ウォレスはなんとしてでもレプリカントに子を作らせたいのだ。そしてここで重大な秘密、つまりはっきりとは表現されてはいないが、デッカードがレイチェルを愛したのは仕組まれたことだった、と語りデッカードレプリカントであるということを示唆するのだ!

 確かに、それは奇跡だ。レプリカント同士の子供ならば。信じられないという表情のデッカード。ただ、かねがねリドリー・スコット監督はデッカードレプリカントであると公言し、ディレクターズカットではその証左としてわざわざユニコーンの夢を挿入したくらいだ、ありえる。

 

 懐柔策としてウォレスはなんとレイチェルと全く同じレプリカントを製造、デッカードに再び彼女と暮らせるのだと誘いかける。ひょっとしたらCGでレイチェル出るのか?と思ったらやっぱり出たよ!しかし、ターミネータやローグ・ワンですでに若かりし頃の俳優の再現がされているからか、それほどの驚きはもはやなかった。

 でも相当再現には苦労したようだし、なんとショーン・ヤング本人もその場で演技指導をしたとのこと!当時ハリソンとの不仲が言われていたが、今現在流石にそれはないだろうから、現場の雰囲気も見てみたいものだ。ブルーレイで見られますかね? キャリア半ばで消えてしまったショーンだが、今見るとおそらく容色衰えているだろうな・・・。「花の色は移りにけりな」だ。

 

 さて映画では不抜けたようになっていたデッカードだが、一言「彼女の瞳は緑だった」とそっぽを向く。

 しまったー、となったウォレスはラヴに、にせレイチェルの頭をその場で銃であっけなく打ち抜かさせる。ひでえ。そうして手のひら返しでデッカードをオフワールドに連れて行き、そこで吐かせようと画策、ラヴに空港まで連行させる。

 

 一方Kはレプリカントの娼婦マリエッティ(彼女がジョイと同期してKと愛し合うシーンは不思議そのもの)によって助け出され、ネクサス8たちとともに戦うことを要求される。そしてそこでデッカードの子供は女の子だと告げられる。自分だとまだ希望を捨てていなかったKは自分の記憶が記憶技師のアナのものであると理解し、彼女こそがデッカードとレイチェルの娘であることを悟る。なるほど!そういうことか!アナの瞳、グリーン!

 

 さて、ネクサス8が軍隊だとか言い始めた時点で、僕は

「あーあー、ここから派手なドンパチやるのか?みんなでウォレス社に行って破壊行為か?これじゃあ結局そこらの爆発系スカッとムービーになっちゃうな」

などと思ったのだが、聡明な脚本はそういうクライマックスは用意していなかった。

 最後は防波堤(海面が上昇し、ロスアンゼルスは巨大な壁によって海水の浸蝕を防いでいる)でのデッカード救出劇となるのだが、そこで行われるのはKとラヴの肉弾戦だ。まるで前作でロイとデッカードが肉体だけで戦ったように。この静かで格調高い戦闘の末、Kは勝利しデッカードを娘のアナに引き合わせる。

 

 雪が降りしきるアナの研究所の入口で木馬をデッカードに手渡し、彼を見送ったKは階段に静かにその身を横たえる。ラヴとの戦いで数カ所を刺されている彼は生きている方が不思議だ。静かな感動が押し寄せる。

 彼の上に静かに、美しく雪が降る。彼は死ぬのか。眠るのか。それはわからないが見る夢は電気羊ではないことを祈りたい。

 

 

 

 いやーあんまりあらすじとか書くのもどうかな・・・と思ったんですが結局こうなってしまいました。5千字超えた。読んでくださった方お疲れ様です、ダラダラ記事なのに。

 

             さて、もう一度観にいくかな。

 

 

こんな作品をものしたい。今は草の根レベルでも

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ドラコニア逍遥/澁澤龍彦展にて

    行ってまいりました。「澁澤龍彦・ドラコニアの地平」展。  

     

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 澁澤龍彦氏は埴谷雄高氏と並び僕が最も敬愛する作家・翻訳家・随筆家だ。

 僕は30年くらい前に河出書房の本に面白いものが多いのに気づき、そこで初めて読んだのが『黒魔術の手帖』だった。さらにほかのシリーズとして『毒薬の手帖』『秘密結社の手帖』があり、そちらも僕は貪るように読んだ。

 

黒魔術の手帖 (河出文庫 し 1-5 澁澤龍彦コレクション)

黒魔術の手帖 (河出文庫 し 1-5 澁澤龍彦コレクション)

 

  

 こういった怪しげな博物的書物を渇望していた僕にとって、彼はまさにうってつけの作家だった。そして実際は僕が望む以上のものを澁澤龍彦は著していたのだ。この本から僕は芋づる式に彼の本を買い集めていった。どれほど彼の著作によって僕は蒙(もう)を啓(ひら)かれたことか!最初はこの河出書房の手帖シリーズから。そしてサドの翻訳へと手を伸ばしていった。

 

        澁澤龍彦関連は数が多いので網羅するのは結構しんどい。

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 氏が有名になったきっかけの一つに「サド裁判」がある。いわゆる「サディズム」の語源となったマルキ・ド・サド候爵の著書「悪徳の栄え」がわいせつ図書に当たるとして1959年に起訴されたのだ。

 

悪徳の栄え〈上〉 (河出文庫)

悪徳の栄え〈上〉 (河出文庫)

 

 

 世間では例えば「お前ってSだよなー」とか軽々しく使っているけれど、語源はサド候爵だということを知っている人間は殆んどいるまい(ちなみにSMのMの語源は「毛皮を着たヴィーナス」を著したザッヘル・マゾッホ種村季弘氏の訳で読めます)。

 

 サドの著作はどれもが悪徳と暴力とエロティシズムに満ちており、文学であるが故に許される背徳性を遅効性の毒のように発散している。内容はといえば、僕ごときが論じるのもはばかりがあるけれど、ある意味荒唐無稽そのものだ。

 例えば「ソドム百二十日」

 などは、権力者であるブランジ公爵とその一派がフランス中から数百人の少年少女を誘拐し、とある古城に立てこもって放蕩の限りを尽くす。入城してからは延々その描写が続き、最後にはもう訳がわからない断片的な変態性欲の博覧会のようになっているのだが、そこにちょいちょい挿入される登場人物の主張(=サドの悪徳哲学)が一貫して説かれており、妙な説得力をもって僕らに迫る。まあ、一般的には到底認めがたい論理ではあるけれども、文学はそれを全て許すのだ。

 

 しかし、当時の世間はそれを許さなかったらしく、サドの別著『悪徳の栄え』が猥褻文書として裁判の対象となった。澁澤氏としては不本意な裁判であったろうが、これにより逆に彼の知名度は上がる。また様々な形で作家や文化人がこの問題に言及、または実際に弁論し文学と法学の齟齬を明らかにするなど、様々な文化的影響を及ぼした。

 

 今『悪徳の栄え』を読んだところで「これのどこが猥褻なのだろう」と思ってしまう。結局澁澤氏は有罪となり罰金なにがしかを払ったが、実際のところ書店で何の問題もなく購入できる。むしろ興味本位で買った人間はこの本に冷たく突き放されるのではないか。ほとんどが女主人公ジュスチィヌの(サドの)悪徳的強弁で終始しているのだから。

 

 若く思慮の足りない僕は、澁澤訳の「ソドム百二十日」を読んだ自分に酔いしれ、完全版を読みたいという欲求(澁澤版は抄訳だった)を抑えられずに、佐藤春夫の完訳版を『ジュスチーヌ物語または美徳の不幸』とともに買っちゃったよ。

           二冊合わせて8000円。装丁横尾忠則  

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 でも二冊とも一度さらっと読んだきり。文体も澁澤訳とは全然違う。どうすんだ、これ。娘が成長してこれ読んだらどう思うかね?

 

 まあ、それはそれでいいとして、澁澤氏はサドの翻訳も有名だけれど、その博覧強記であるが故の、無限に広がる智の海とでもいえるエッセイがすこぶる魅力的なのだ。そうしてその知性が生み出した小説の魅力的なことといったら!

 僕は当時、氏を知って出来うる限り安く著作を手に入れるため古本屋を巡っていたが、あるとき何かの雑誌に『澁澤龍彦全集』の告知を発見してしまった。毎月配本されるのだがその定価、五千円。僕は当時バンドでやっていこうなどと人生を舐めまくっていたのでフリーターまがいの生活をしており、そんなに自由になるお金もなかったのだが、それでもその全集がどうしても我慢できず、なんとか五千円を毎月捻出し、欠かさず購入した。その結果。

 

             どーん。全22巻。別巻1。

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 実は別巻は2巻あるのだが、最後の最後で力尽き、完本ではないという体たらく。僕の所有する本で最も豪華なセット。ちなみに僕は就職して最初の給料で埴谷雄高の全集(9万円)を一気買いするという暴挙に出た実績を持っている。その話はまた別のところで。

 で、お前はこれを全部読んだんか?と問われれば「うーん」と言わざるを得ないのだけれど、7割は読んでます。

 

 まあ、こんな感じで澁澤龍彦氏は僕の心の作家なわけで、その氏の展覧会があることを知った僕は欣喜雀躍し、ついに昨日、東京は芦花公園にある世田谷文学館に足を伸ばしたのだ。

 久しぶりに京王線に乗り、芦花公園駅に降り立つと早速この看板が期待を高めてくれる。

 

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        空模様を気にしながら数分歩くと、たどり着きました。

 

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 中の撮影は禁止だったので写真はありませんが、僕の手持ちの本でビジュアルを補い、内容をご紹介・・・と思ったのだけれどここまで書いて疲れちった。続きはまた明日。

 

多少、こちらでも言及しています。

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浴室読書日記/クラーク『渇きの海』

         お風呂で読んだ本の紹介三日連続の二日目。        

 

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渇きの海

渇きの海

 

 

 言わずと知れたSFの巨匠、アーサー・C・クラークの作品。今読んでも十分読み応えがある。

 『渇きの海』は1969年のアポロ11号による月面着陸以前に書かれた作品だ。ニール・アームストロングが月に降り立った瞬間、SF作家の役割は終わったんじゃないですか、と当時筒井康隆氏が何かしらのインタビューで言われたそうだが、SFってそういうもんじゃない。確かに、月を舞台にした小説はいくつかの点で修正を余儀なくされたかもしれないけれど。

 例えば当時月の表面は細かい粒子で覆われていて月着陸船は沈むのではないか、などという主張がまことしやかになされていたらしい。この小説もそういった場所が月にあると仮定しての作品だ。文体はやや大仰な比喩や言い回しが鼻につくところがあるものの、クラーク先生の巧み、かつ確かなストーリーテリングでそれも気にならなくなる。

 

 タイトルの「渇きの海」というのは細かい粒子で出来た底なし沼のような地域で、一度そこに沈めば二度と脱出不可能な場所として登場する。作品世界ではその渇きの海は月の観光スポットであり、その砂の海の上を宇宙船「セレーネ号」が定期的に就航している。ところがセレーネ号は男女22人の乗客を載せて帰港中、突如起こった陥没に巻き込まれてしまう。この部分は巨大なすり鉢状の穴の淵をなんとか回避しようとするセレーネ号の緊迫感あふれる描写が見事だ。

 僕は月の風景が大好きなので、

    この頃の記事、ほとんど誰にも読まれてません。 

otominarukami.hatenablog.com

  太陽に照らされた月に出現した灰色の蟻地獄と、そこに囚われそうになった小さな宇宙船が必死に逃れようとする、その絵がありありと浮かび、さすがクラーク先生!と感服した。

 僕がクラークの作品を初めて読んだのは高校生くらいの時にテレビで放映された『2001年宇宙の旅』鑑賞がきっかけだ。あまりにも偉大なこの作品、ブルーレイも購入したけれどアマゾンプライムで見放題ってヒドクナイカ。 

2001年宇宙の旅 (字幕版)
 

 

 監督のスタンリー・キューブリックの功績ももちろん大きいこの映画の宇宙空間は無音、もしくはヨハンシュトラウスのクラシックという演出はSFXは流石にしょぼさは否めないものの、50年近く昔の作品と考えると、スター・ウォーズと同様におそらくこの先100年間だって人々に見られ続ける作品だろう。

 

 さて、渇きの海に沈んだセレーネ号に対して、必死の救出作戦が行われる。乗客22人の描写はさすがに多すぎて誰が誰だかわからないが、主要な人物は適確にわかりやすく活躍するのでそんなに気にする必用もない。基本的に安堵→ピンチ→安堵→ピンチの連続なので飽きることはなく、読者は最後までこの救出劇にそわそわすることになる。まあ、予想通り大団円で終わるのですが。

 そうそう、この小説を読んだひとつの発見は、救出を中継しようとする新聞記者がチャーターした宇宙船の名前が「オーリガ号」だったこと。僕は即座にあ!これ「映画エイリアン4」に出てきた宇宙船の名前じゃないか!なるほど!とポンコツ知識が発動。SFファンならではの発見。

 ちなみに「エイリアン」1作目の宇宙船は「ノストロモ号」。2の宇宙船「スラコ号」。3は2と同じで、あとは最近の「プロメテウス」と「コヴェナント」になるわけだけれど、直近の二つはムリヤリ神話的意味を持たせようとして少しうざったいな。

 

月に関わりはあります

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