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細雪(ささめゆき)を数十年ぶりに読む

 谷崎潤一郎に興味を持ったのは高校時代、国語の便覧を暇つぶしに眺めていたことがきっかけだった。谷崎氏のページには「耽美派」「悪魔主義」などの言葉が踊っており、カフカカミュなどを読んでいい気になっていた僕は興味をそそられたのだ。彼に興味を持った僕は学校の図書館へ行き、まずは短編集である『春琴抄』を借りた。

確か冒頭の作品は『刺青』(しせい)だったと思う。その流れるような文体や、彫師である男と彫られる女の主客転倒が見事で青二才の僕でも素直に「なんか谷崎すげえ」と思ったもんだ。『蓼食う虫』も読んだはずだけれど、ほとんど内容を覚えてはいない。似非文学青年であった僕にはまだ難しかったかもしれない。それでもそうして何篇か読み進めるうちに、大作『細雪』に挑んだのだ。

 

  折しも高3の秋、受験勉強を必死こいてしていなければならない時期、僕はあまりに意識が低く「映画監督になりてえ」と漠然と思い受験科目が英語と社会しかない日大芸術学部しか受けるつもりがなかったのだ(もちろん一次で不合格、結果浪人)。そうして呑気にも本ばかり読んで現実逃避をしていたのだな。その中の一冊である『細雪』であった。時に夜遅くまで読み、一月ほどを費やしてついには読了し、それを報告して当時の担任の国語教師をして喜ばしめた僕だったけれど、今となっては40年近く前、ほとんど内容を覚えてはいない。それが最近、たまたまキンドルで上巻が無料で読めたのでなんの気なしに読み始めたのですよ。ところが読み始めると止まらない!あっという間に上巻を読んでしまったので、中巻・下巻と読もうとしたら無料本は上巻しかない!仕方がないので500円払ってキンドルの完全版を購入しましたよ。そんで読み終わりました。

畢生の大作、ていうキャッチがすでになんか格調高い

細雪 全

細雪 全

 


 細雪は昭和14年、大坂の落魄した商家「蒔岡家」の四姉妹をめぐる物語である。東京に越して本家を預かる鶴子、そして次女の幸子は結婚し家庭をそれぞれ持っている。三女の雪子と、「こいさん」(小娘さん、こいとさんと読み、末娘の意)と呼ばれる四女の妙子は独身である。妙子は19の時に駆け落ち騒ぎを起こし、名家の娘故、地方の新聞に書きたてられてしまったのだが、その際に間違えて雪子の名前で記事が出てしまったということがあった。それがもとで雪子はその美貌にもかかわらず縁談に恵まれず、30を迎えても独身である。この雪子の縁談話が持ち上がっては不首尾に終わるという繰り返しと、こいさんの奔放なふるまいによる波紋が主な軸になり、それらの出来事が次女の幸子の視点を中心にして描かれている。これは谷崎氏の三番目の妻がこの幸子のモデルになっているということも関係しているのだそうです。

 大仰なストーリ展開があるわけではなく、むしろ微に入り細に入った大阪の上流家庭の日常の描写がこれでもかというくらいに描かれる。ほとんど数行しか登場しない人物の勤め先や、境遇などが説明されたりもするのだけれど、それ本筋にほとんど関係ないでしょ!といえる内容がしかしリアルさをもって次々と描写されているのだ。神は細部に宿るというが、まさにそれを地で行っている作品なのだ。

 

      昭和25年製作の映画「細雪」。ラストはこいさんが家を出るシーンで終る

       

 とはいえ、いくつかの盛り上がる場面はある。例えば上巻の水害の場面などは非常に緻密な描写で、それに巻き込まれたこいさんの緊迫した様子が真に迫っているのだ。ちなみに僕はこの洪水の場面をこの作品のクライマックスだとずうっと思い込んでいて、今回読み直すときに「確か細雪、大洪水で家が水没して終わったよな」なんて思っていました。全然違う。記憶の捏造。ひょっとしたら「ちびまる子ちゃん」で洪水が起きて、たまちゃんの家が水没するという話があったのだけれど、それと混同していたのかもしれない。
 とにかく太平洋戦争直前のまだギリギリ平和であった昭和初期の大阪・東京を谷崎氏の優れた筆致によって、今も鮮やかに甦ってくる。

       こちらは市川崑作品。このシーンの緊迫感すごい

     

 さて前述したように主なストーリーの軸の一つが雪子の縁談なのだが、いくつかの破談を経て、最終的には子爵家の息子との縁談がまとまる。一方その縁談と同時に並行して、勘当同然であったこいさんが未婚のまま妊娠し、結果的に死産するという事件が起きる。そして物語はここで終了するのだ。
 文学作品であるからして、人間の日常を描いた作品であるからゆえ、そんなに劇的なクライマックスがあったりするわけではない。この後太平洋戦争が起こり、大阪も空襲され蒔岡家は焼け出されるかもしれない。ただ「その後」に関しては読者が想像するしかないのだけれど、それにしても終わり方が妙なのですよ。だって、最後のページ、雪子が婚礼の為に東京へ行くのだけれど、その二三日前から下痢に襲われるのです。そうして最後の一文がこれ。婚礼を直前にした雪子の主観に立って書かれた一文です。

 

 そう云えば、昔幸子が貞之助に嫁ぐ時にも、ちっとも楽しそうな様子なんかせず、妹たちに聞かれても、うれしいことも何もないと云って、きょうもまた衣えらびに暮れぬ嫁ぎゆく身のそぞろ悲しき、と云う歌を書いて示したことがあったのを、図らずも思い浮かべていたが、下痢はとうとうその日も止まらず、汽車に乗ってからもまだ続いていた。 

                            細雪 完

 

 

何だこの終わり方!「細雪 完」って。よりによってこの一文がこの大作の締めだとは。一文が長く、流れるような文体が谷崎氏の特徴のひとつであるけれども、凡人ならば最後の「図らずも思い浮かべていた」で終らせるだろうところ、「下痢がとうとう止まらない」という内容で終わりですよ。すげえなあ、谷崎潤一郎

 

それに比べりゃこんなのど素人の手慰み

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