スカボローフェアの話から始めて、有名アーティストの一部の曲しか知らない僕の話を書こうと思ったら、全然違う方向へ進んでしまった昨日の記事。そうして今日も行き先不明。僕は何を書こうとしているのか?
サイモン&ガーファンクルは小学校5年生の時に始めて聞いたのかな。
小学5年生になると僕の通ってた小学校ではクラブ活動が始まり、なにか好きなクラブに入ることができたのだ。そうして僕が選んだのはギタークラブ!
当然僕は弾けもしなかったのだけれどギターに対する憧れは強く、クラブに入る旨を父親に話したら、なんと安物のクラシックギターを買ってきてくれたのだ!
小躍りして喜ぶ僕を微笑ましく見守っていたあの時のお父さん、ありがとう。彼は今80歳だけれど今も元気にうどん屋で商売している。すごいな、長生きしてください。
さてそうして初めてのギターを手にした僕だったが、チューニングのやり方を知らない。当然チューナーなどなく、おまけで音叉(U字方をした一定音が出る器具)があったのだけど、もちろん小5のど素人の僕が使えるわけもない。
こういうやつがあるのですよ
それでも僕はチューニングの合っていない、(僕が)弾けないギターを持ってギタークラブに参加したのだ。
そのクラブの顧問はちょうど僕の担任の女性教諭だった。彼女は非常にギターが上手で、クラスでも時折弾くこともあった。
その先生にチューニングしてもらい、おぼつかない手つきでびろりろーんなどと弾くが当然ド下手。そもそもどうやってギターを弾くのかも知らないのだ。
最初に先生がコード表を配ってくれて、EとかDとかのコードを覚えましょう、みたいになったのだけれども意味がわからない。かろうじてEを弾けたのだろうか、あとはもう全然ダメ。理想と現実のギャップがあまりにも大きかった。
そんな中、同級生の別のクラスの男の子はなんと白のフォークギターを持参し、当時大ヒットしていた、さだまさしの「関白宣言」を突然弾きだした!度肝を抜かれる僕。彼は幼少の頃からギターを習っていたのでクラブの中でもぶっちぎりに上手だった。
その一方で僕はろくにコードすら覚えらず、弦を押さえた痛みだけをヒリヒリと指先に感じたまま、弾けないギターを持ってバスに乗り家へと帰ったのだった。
ギター少年はレパートリーも豊富だった。その中でも得意だったのがサイモン&ガーファンクルで、よく「サウンド・オフ・サイレンス」を弾いていた。
中学生くらいの時、ひとりでこっそりテレビでやったのを見た
あの切ないチラリラチラリラのイントロを聞くだけで、ギターの弾けない僕は彼の才能が羨ましくて仕方がなかった。とはいえ妬むというよりは畏怖に近い気持ちだっただろう。
そして数ヶ月が経ったけれど、僕のギターの腕前は一向に上達しない。
クラブでは僕のように弾けないギターを持っている子は何人もいて、そういうメンバーはギター少年のギターに合わせて歌を歌ったりしていた。僕はその合間に幼稚な手つきで練習し、人知れず落ち込んだりしていた。
僕は歌うのが好きだったから彼のギターに合わせてサウンドオブサイレンスや関白宣言を歌っていたけれどやっぱりギターは弾けなかった。
そのうちに学校の発表会で皆ギターを持って演奏することになった。
しかし僕のギターの腕前は一ミリの進歩もなく、とても人前で演奏できるレベルではない。しかしその発表会の日は近づいてくる。家で弾いてはみたものの、指導者がいなければあの年齢でギターを弾くなんてとても無理な話だ。
そうして迎えた発表会の当日。僕は仮病を使って休んだ。
小学生の僕!15年後の君はギターを弾けるんだぜ!
タイムマシンがあったら僕は僕にそう言ってやりたい。しかもサイモン&ガーファンクルどころか、メタリカを弾きながら歌うんだぜ!プロのベーシストを目指して挫折するんだぜ!
オリジナルの曲を作って歌ったりもするんだぜ
一体どういう気持ちで今日の記事読めというのか、中年の僕よ!