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僕の素人小説作法 続編

 誰が読んで面白いのか、僕の素人小説作法。でも書きますね。 

 頭の中でストーリーが出来上がって、さて次に何をするかというと、今度はパソコンでWORDを立ち上げ、大まかなストーリーラインを箇条書きにして形に残します。そうじゃないと忘れることも多いし、逆にそこから新たな着想も得ることができる。

 さて、そうしてこの間僕の頭の中でようやくまとまった作品がある。

 タイトルは『オオカミ先生』。僕がカクヨムに書いた『土管の向こうの街』の続編です。

読んでよ!読んでよ!

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 キャラクターはそのまま使って、ストーリーは『土管~』とは特につながりのない、別のファンタジーにしようと思ってます。ちなみにプロット(メモ)はこんな感じなのです。(以下しばらく僕にしかわからない記述が続きますが、ご容赦ください)

 

 オオカミ先生

 孝之  小6 中学受験準備で塾通い

 カッコ 泣きながら教室へ入ってくる 不良中学生にカツアゲされる

 他にも二三人が被害に

 僕も一人で帰るときに取り囲まれる 

 大きなケモノに救われる。黒いスーツ 背中にはリュックサック

 

 大神先生(?)

 授業エピソード ハイテンション授業

 バンドのボーカル バンド名 プロを夢見る

 

 ×犬笛を置いて暗やみに消える

 獣のうわさがネットを中心に広がる

 学校へ来る2人 小太りの役人とハンター → 民間企業

 ケモノを捕獲しようとする存在

 DNA研究?

 博士と助手

 モリアーティ

 

 塾へ忘れ物を取りに行く 若い女の人が話をしておりそれを立ち聞き

 いつまで夢をみているのか?

 リュックの存在に気づく僕 ケモノは先生ではないかと思う

 

 補習中に役人が訪れる 先生は汗びっしょり

 帰り道、僕はまたしても中学生にからまれる(ハンターの差金)

 犬笛を吹く 現れるケモノ逃げる中学生

 ハンターがネットで捕獲 注射器 もう一頭が現れハンターを痛めつける 喉笛に噛み付く寸前で僕が笛

を吹き止める 

 僕がネットを外し二頭は闇へと消える

 

 夏休み 塾 合宿 日常系

 宝登山神社

 博士と助手もあとをつける

 ロープウェイで山へ登る塾生

 僕はハンターの姿を見かけてあとを追う 探す先生→罠

 山火事→ハンターが火をつけた

 先生ついに変身。僕を乗せて逃げる

 追うハンター ロープウェイに飛び乗る

 目的 永遠に保護(幽閉)

 DNAを研究して兵器を開発いずれ誰かがまた来るだろう

 

・・・とまあこんな感じです。長くてすいませんねえ。

  

 実際まだ2ページほどしか書いていないのだけれど、書くという行為は不思議なもので、道しるべさえあれば、本当に自然と白紙が埋まっていくのです。

 職業作家でもなく、出版実績があるわけでもない僕が偉そうに何を言ってるのだと自分でも思うのですが、少なくとも文字で何かを書き連ねるという才能が僕には少しはあるようです。いや、才能というよりは今までの蓄積なんだろうなとも思うのですね。

 

 それこそ本はたくさん読んできたので、これが僕の精神的財産になっていることは間違いない。上には上がいることを重々承知で書くのですが、ある程度の有名な作家の作品はおおよそ読みました。

 夏目漱石森鴎外太宰治芥川龍之介などといった文豪から始まって新潮社日本文学全集をクリア、ドストエフスキーカフカカミュからソルジェニーツィン、果てはサド、マゾッホナボコフバタイユといった異端の作家たち・・・。もちろんその全てを読んだわけでもありませんし、理解をしているとは言い難いのですが、これらすべての文章が僕の血肉となっていることに違いはありません。

 

 出来上がった作品は先人たちと比べることすらおこがましく思えるものですが、それでも書かずにはいられない。そしてそれを発表するネットという場が有り、読んでくださる方がいるという現代は非常に良い時代だと思います。

 これが30年以上前なら一人で原稿用紙にちまちまと書き、それが日の目を見ないまま誰にも読まれずに終わっていたことでしょう。一方で誰もが作品を発表できるという環境が整ったゆえに、そこに埋もれてしまうという側面もあるのですけどね。

 

 あとは、運。

 本屋へ行き、とある棚にある、ある種の小説をとってみると、どうしてこのようなシロモノが印刷され、書店に並び、売れるのだろうという、いかんともしがたい思いに駆られることがある。

 

こんなものを出版するのだったら、僕の本を出してよ!

 

 とどこかの誰かに向かって叫びたい。あっ、すいません少々取り乱しましてしまいました。これこそが運なのだろう。

 

 もはや何を書きたいのかわけがわからなくなったので素人小説作法に戻ります。

 

 ストーリーも大事なのですが、あとはレトリック/文体の問題ですね。いかに美しい文を書くか、それにこだわって悩む人は相当いると思います。

 僕はあまりそれにはこだわってはいません。というより書けない。

 

 流れるように美しく滑らかな、例えば三島由紀夫のような文体はとてもじゃないけれど無理ですね。まあ、たまに頑張って隠喩や擬人法を用いた文を書いてみるのだけれど、どうにも亜流。目の前に浮かぶような文章表現は本当に難しい。

 

 ただ、ひとつ意識しているのは割と長めの文を、破綻なく続けるといったことですね。これはもう自分でもわかっている。まさに埴谷雄高氏の影響。

僕の永遠のアイドル

  影響というより憧れからでしょう。谷崎潤一郎氏の長く、流麗な文体も憧れ。だから僕は長い一文を書いてしまう。

 

 素人風情が何を言っているんだ、文章は簡潔に、短く書け、と志賀直哉大先生に指で弾かれそうですが、長くつなげて、しかも矛盾なく着地することができた文を書けた時の密かな喜びがあるのですよ・・・言ってみればこの文のようにね。

 

 今度の『オオカミ先生』は再び娘向けに、つまりジュブナイルを意識して書こうと思っているのでなるべく短く簡潔な文章を目指すかもしれないけれど、書いているうちにそんなことは関係なくなっちゃうかもね。

 

 あと、人称について。

 初めて書いた『ヘビーメタルと文芸少女』は三人称、つまり登場人物を客観的に俯瞰できるスタイルを選びました。

どんなにしつこいと思われようとも、載せ続けますよ!

kakuyomu.jp

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         主人公ユリカ:お願いですから、読んでください!

 

 そして次の『土管~』は僕の視点から、つまり一人称で仕上げました。

 こういうのも小説作法上の永遠のテーマなんだろうけど、これ以外の作劇法はないものだろうか。この間読んだ『終わりなき平和』は主人公ジュリアンの一人称と、作者の視点である三人称が入り混じった作品だった。

www.otominarukami.tokyo

 まあそれもアリなんだろうけど最初は何?と思うよね。結局、その作品のテーマやストーリーにあったものを選ぶしかないのでしょう。

 

 さて、これから何ヶ月かかけて『オオカミ先生』を書いていこうと思いますが、発表は書き上げてからにしたいと思います。なぜかというと、書きながらカクヨムに載せると、あまりの読まれなさに挫折してしまった経験があるからです。それがこちらの作品。

イイねゼロ!フォロワーゼロ!もうちっとなんとかならないか

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 古事記とバンドを融合させ、僕なりの異世界冒険ものを途中まで書いたのですが全然読まれず(107PVしかない)、続きを書く気力が失せてしまった。せっかくプロットができて、自分でもまあまあのストーリーとキャラクターだと思っていたのに・・・。

 

 やはり人に読んでもらう、ということは作品を作る上で一番重要なのです。だからなんとか今度の『オオカミ先生』は作品を完成させた上でアップしたいと思ってます。つってもいつのことになるのかわかりませんが、今度の連休などを使ってできるだけ書き進めたいデス。

 まずは、娘のために。