12月23日から子供が冬休みに突入。小4の次女は自主学習に熱心で常に何か題材はないかといろいろ調べている。
好奇心旺盛で大変よろしいので僕も自宅から行ける範囲の博物館やら美術館やらをあれこれ調べ、「これいいんじゃない!」と見つけたのがこちら。
第94回企画展「昭和なくらし、そしてスバル。」 群馬県立歴史博物館
昭和40年代生まれの僕は度々このブログで昭和系の記事を書いているし、子供の自主学習にもふさわしい企画で一挙両得!早速日曜日に出向いていったよ。
「群馬の森」という公園に美術館と博物館が併設されている。あと、娘のコートの胸のワッペンは僕がアイロンでアップリケしたメタリカ。
ちなみに近代美術館の方はこちらで訪れたことがあります。
群馬県はスバルの工場があるので、そちらとタイアップの企画か。とにかく入場してみると、入口にはマンガチックなパネル。
パネルをそれほどは興味なさそうに見る娘
この手の企画展のパターン通り、昔の道具がいくつか並べられ、特定の年代の層に対して郷愁を感じさせるという演出。
僕にとっては古すぎる道具。右の大型カメラ、触ってはいけないのに知らずにガンガンいじっていた人が注意されていた。
入口でクイズを渡され、展示を見て答えるという形式になっていた。しかしそのクイズがあまりにも易しいので子供も失笑。
おとうさん、バッハとか絶対ないよね
はじめチョロチョロ、なかバッハ
はちょっと面白い。さて、下記のかまどの展示、手作り感がすごいんだけど
ふとしたはずみで燃え盛る火のパネルが取れて我々父娘、プチパニック。
お父さん!大変だよ!
両面テープなのでそのまま貼り付けて事なきを得る。地方博物館、こんなもんなのでしょうか?
こちらは戦中の小学校の教科書(の復刻)。戦時色が非常に強い内容。
最初は「サイタ サイタ サクラガ サイタ ノボル ノボル アサヒガ ノボル」
目次を見るとやはりそれなりの教育が施されていたことが伺える。
小学校で「萬葉集」を習う。ただ、愛国心を高揚させるような歌が載っている訳ではなく、素性法師の「見渡せばやなぎさくらをこきまぜて」とか、藤原敏行の有名な「秋来ぬとめにはさやかに見えねども」などが載せられていた。純粋に日本人としての教養を身につけさせようという意図が見られる。
ただ一方ではそれに混ざって「マライを進む」や「シンガポール陥落の夜」などの単元が見られる。附録に至っては「レキシントン撃沈記」など全てが太平洋戦争の記録。
源氏物語は「若紫」の章が現代語で平易に訳されていた。古事記も今なら絶対に教科書に載らない。
この展示を見たあとに、おばあちゃん(僕の母)の家に寄ったのだけれど、この話をすると、「あたしが小学生の時に戦争に負けて、兵隊さんのことが書いてある教科書が全部塗りつぶされたんだよ」と話していた。そして、テキストはすべて先生のガリ版刷りだったらしい。子供は無邪気に「ガリ版刷りって何?」と聞いていた。こういう日常がいつまでも続きますように。
こちらは昔の足踏みミシン。
踏むのにコツがいる
これ、40年くらい前は母親が裁縫業をしていたのでウチにもあり、そのメカニックな感じが僕は好きでよく踏んでは怒られた。
その向かい側にはスバルとのタイアップジオラマが飾ってあった。
「スバル360が初めて我が家へ来た日」のジオラマ。
父親が誇らしげに披露している。子供は「ひょえー!」といった表情をしていた。そんな昭和の、ある日の記憶。
こちらは家の中から新車のスバルを見る娘と、妻。
ジオラマの作り込みは細かく、娘は「棚の後ろにマンガがあったよ」と父親よりも鋭い観察眼を持って眺めていた。妻はマイカー納車を誰かに電話で報告しているようだ。
そして、そのスバル360の実物が展示されていた。
僕の家の斜め後ろの方が車好きで、二年くらい前までこのスバル360を乗っていた。しかしやはりよく壊れるようで現在は普通の軽自動車になっている。またその人、スバル以前は古いポルシェを乗っていたのだけれど、こちらもまたすぐに壊れるようで半年位で別の車になっていた。せっかくの憧れのポルシェも、古いとダメですね。しかもおそらく部品代とかがバカ高いだろうから、諦めたんだろうな。今でもその家に軽自動車が停まっているのを見ると、僕は少し哀しい。
人んちのことで勝手にしみったれてどうする。
他にも様々な角度から撮りました。
ドアの開き方が今とは違うんだよね。なんかフィアットみたい。
僕の父が最初に買った車はダイハツの「ベルリーナ」という車だった。僕も現在ダイハツ車を乗っていることを考えるとなんとなく感慨深い。
明日に続きます。
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