やくしまるえつこの「わたしは人類」のジェネティック・ビデオが先週公開された。
夜、電気を消して見るとトリップできます。
冒頭のオルガン、デジタリズムの「POGO」かと思った。ほぼ同じ!
まあ、それはいいとして、「わたしは人類」はライヴでも公開されている。
衣装はファセッタズム!
相対性理論ややくしまるえつこのファンならわかると思うが、これは非常に珍しいことだ。だって、ちょっと前ならほとんどやくしまる関係の映像って公開されていないから。昔は相対性理論なんて極端に露出が少なくて、血眼になってライヴを探したが見つからなかったりした。最近は「FLASHBACK」でようやく顔出ししてるけど、それだってほとんどパソコン見てるだけ。
どうでもいいけど、よくこの曲でPV出したな。この曲、僕飛ばしてたんですけど・・・。
「わたしは人類」の話に戻ると、「止めて、止めて、進化を止めて」のところ、「弁天様はスピリチュア」」の「ひとつ、ひとつ、またひとつ」とメロディもリズムも一緒だな、などと重箱の隅をつつくように思ってしまった。曲は大好きなんでそれほど聞いているということで勘弁してください。
この曲にのせて井の頭公園ではやくしまるのナレーションが流れているそうです。
いいねえ、これ。何も知らないで行ったらおお!って感動しそう。
話がそれたけど、この「わたしは人類」を初めて聴いたときに、途中のラップっぽいところで唐突に
「・・・クラトゥの手」
という歌詞が聴こえた。
クラトゥといえば「地球の静止する日」で出てきた宇宙人である。
キアヌ・リーヴス主演で数年前に再映画化されていたが、評判は悪い。それはそれとして、このクラトゥがロボットのゴートを止める時に言うセリフ、「クラトゥ バラダ ニクトゥ」というのがある。
このセリフはかなり有名で、いろいろな作品に引用されている。僕が真っ先に思い出すのはサム・ライミの「キャプテン・スーパーマーケット(死霊のはらわたの続編)」の一シーンだ。
「ネクロノミコン」を手に入れなければならないアッシュはその時に呪文を唱えなければならないのだが、それが「クラトゥ バラダ ニクトゥ」なのだ。しかし、アッシュは「ニクトゥ」の部分がどうしても思い出せず「ネクタイ」とか言うのが面白すぎる。そんで結局思い出せずに「バラダ ニ・・エヘンエヘン!」とかでごまかす。僕は当時劇場で思わず爆笑してしまった。
「わたしは人類」でまさかの「クラトゥ」が出てくるなんて、さすがやくしまるのえっちゃん、一味違うぜ!と勝手に感心して歌詞検索サイトで確認してみたら。その部分の歌詞は
「うらとおもて」
だった。
がーん。クラトゥ全然関係なかった。
僕が相対性理論にハマり始めた頃にようやく手に入れた「ユリイカ」
ほとんど全部やくしまる特集。なんと茂木健一郎まで寄稿している。支持の幅が広すぎ。中身はかなり充実しています。本人のヘタウマ?イラストも豊富に掲載。
あとは、物事って、思わぬところでつながることがあるよね、という例がこちら。
ウィスット・ポンミニットというタイ人の漫画家がいらっしゃる。
彼はかなり日本文化に造詣が深く、この間は彼の描く漫画のキャラ「マムアンちゃん」が大宮のビエンナーレの公式キャラ「さいたマムアンちゃん」として使用されていたっけ。漫画を読み終えて、おまけのページを繰ると、なんと作者とやくしまるの対談というおまけがありました。
ちょうどこの頃に相対性理論をかなり聴いていたので不思議なシンクロニシティを感じたものだ。
深夜のアニメ「四畳半神話大系」のまりん作曲のエンディング曲もよかったなあ。
一時期ホントに聴きまくっていたので幼稚園生だった娘は彼女のソロ作品、「少年よ我に帰れ」「ノルニル」「ヤミヤミ」などををフルで歌えるようになっていた。歌っているところ、ビデオに撮っておけばよかったな・・・。
相対性理論はベースの真部脩一氏が抜けてからのはイマイチ、という意見もあるが、僕は今の相対性理論も好きだ。たしかに初期のあの感じはもうないけど、バンドは変わるものだしね。
真部氏はその後タルトタタンとか進行方向別通行区分やったりしてた。最近はVampilliaにもかかわっている。これもなんかすごい。
世の中には様々な文化があるものだ。その全てを味わうことはできないけれども、僕は死ぬまでにあとどのくらいの音楽や芸術に触れられるのだろうか。
キュアーの話は明日書きます。
僕にもその文化の一端は担えないかしら。