『犬は勘定に入れません』、あまりに長大な作品のため、それに費やす感想の字数も多くなってしまって、興味のない方には面白味ゼロ!こんな記事もありますよ。
タイトルがなんといっても秀逸じゃないか
そもそもなんで『犬は勘定に入れません』などというタイトルがついているのか。元ネタはこちらの本だった。
今こちらも読んでいます。新訳が出ているそうですが
- 作者: ジェローム・K.ジェローム,丸谷才一
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2010/03/25
- メディア: 文庫
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全く知らない本でした。僕はまだまだ勉強不足なのだと思わされる。
この『ボートの三人男』の副題が『犬は勘定に入れません』なのだ。気を病んだ主人公が友人二人とモンモランシーという犬を連れ、共にテムズ川をボートでのんびりと旅行する。さしずめ英国版漱石の『草枕』といったところだろうか(こちらの作品の方が前だけど)。そうしてこの本を読んで気づいた。まず各章の最初に、その章のあらましが大雑把に書かれている。実際の内容とは全く違いますが、こんな感じで書かれているのです。
出発 驚き 思いもよらぬ出会い びしょ濡れの犬
笑いが全て 突然の大雨 意外な結末
これを読んで初めて僕は『犬は~』が形式の上でこの作品を踏襲していることを知った。つまり『犬は~』も同じように各章の冒頭に暗示的な語句を並べているのだ。まあ、知らなくても読む上で何の支障もないですけど、思わずプチ悲鳴をあげるような感動はあった。
さて、ヴィクトリア朝にタイムラグ症状(ようは時差ボケのひどいやつ?何十年の時を行ったり来たり)のまま放り込まれたネッドはその目的がなんなのかわからないまま駅を目指す。そしてそこでテレンスという、ブルドッグ犬(名前はシリル)を連れた気のいいオックスフォードの学生に出会う。
テレンスは前日に出会ったトシー(!レイディ・シュラプネルのひいひいひいひいひいおばあさんくらいの女性)に会いたくて仕方がないのだが、あいにく彼女に会うためにはボートでテムズ河を下らなければならない。
行きがかり上僕は彼と川下りをする羽目になる。途中彼の教授であり、溺れていたペディック教授を引き上げ、まさに『ボートの三人男』となるのだ。
『ドゥームズデイ』や『航路』から比べるとこの小説のなんとのどかなこと!しかしコニーの小説の独特の空気感みたいなものは漂っていて、これは訳者の大森望氏の力量によるところも大きいだろう。
のどかな川下りの描写は微に入り細に入り、あまつさえ、コニーは本物の「ボートの三人男」さえも登場させてしまうというノリノリっぷり!ジョージとハリスとジェローム、そして犬のモンモランシー!きっとここが書きたくて仕方がなかったんだろうな。
同行のテレンスは一目ぼれしたトシーが「プリンセス・アージェマンド」という猫を血眼になって探しているという。その猫を見つけてなんとか彼女の気を引きたいテレンス。一方ネッドは未だ何の任務でこの時代に送られたかが分かっていなかったが、大量の荷物の中のバスケットケースに猫を発見して驚愕する!
ここでこの小説のタイムトラベルについてのルールを確認します。
まず、ネットという空間を通り抜けて過去と現在を行き来するのだけれど、歴史を変えるような重要な場所や時点には決して送られることはない。何度挑戦してもそれは不可能なのだ。どうやら時空連続体(それは神の意志にも等しい)は未来からの介入による歴史の流れの齟齬を認めないようだ。そして、過去の重要な遺物や宝物は決して持ち帰ることができない。ネットがそれを通さないのだ。
だから画期的な発明であったネットはその利用価値が大幅に見直され、出資した企業は興味を失い、それは史学部や史学生が主に使うようになった。そしてその維持・研究の為の資金をレイディ・シュラプネルに頼っているのがオックスフォードの現状。
さてその猫がなぜ荷物の中に入っていたかといえば、トシーの日記を確認するためにこの時代に送られていたヴェリティという女学生が、トシー家の執事ベインという人物があろうことかプリンセス・アージェマンドを河に放り投げたのを目撃したことに端を発していた。
ヴェリティはベインの姿が見えなくなるやいなや猫を救出し、そのままびしょ濡れで現代へと戻ったのだ。猫を連れて!そしてちょうどネッドはタイムラグ症状のひどい状態で彼女を見て、恋に落ちた。
本来ネットは何も通さないはずなのに、ヴェリティは猫を連れて現代へと戻った。ありえないことが起きたことにより、ダンワージー教授は時空連続体になにか齟齬が生まれ、いずれはそれが歴史に大きな影響を与えるのではないかと恐れ、ネッドに連れ戻させたのだ。
その後トシー一家に遭遇したネッドはヴェリティと合流する。従姉妹として一家に潜入していたヴェリティの話によるとトシーは「C」の付く人物と結婚したらしいのだが、名前といえばその頭文字しかわからず、しかも近々出かけるコヴェントリー行きで例の主教の鳥株を見ることによって人生が変わり、そのミスターCに出会うというのだ。
しかしなんとトシーはテレンスと婚約してしまう。テレンスは明らかにミスターCではない。このままでは歴史が変わってしまう。猫を助けたことによって齟齬が生じたのではないかとネッドとヴェリティは危惧し、躍起になってなんとかミスターCを探し出し、トシーと出会わせるように努力するのだが肝心のミスターCが全く出現しない。
さらにはネッドには主教の鳥株の行方を探すという任務が重くのしかかっている。状況からして明らかにコヴェントリー大聖堂の空襲直前に鳥株はその姿をくらましていた。ということは何者かがそれを持ち出したはずなのに、その形跡すらないのだ。
この二つの課題と謎が絡まり合ってネッドとヴェリティは現代とヴィクトリア朝、果ては中世、そして空襲のさなかへと、彼らの意思とはかかわりなくネットを通じて送り出される。
SFにミステリと牧歌的なヴィクトリア朝の日常を絡ませた複雑かつ不思議な魅力を持った小説だった。もちろん最後は大団円。これまで僕が読んだのコニーの作品(そんなに多いわけではないけれど)の中では最もオプティムズムに満ちたものだった。一度コニーの作品の魅力に取り憑かれた読者なら大満足の作品だろう。
コニーに興味を持った方、順番としては『航路』そして『ドゥームズデイ・ブック』と読んでいったほうがよいでしょう。そして、『犬は~』のあとには『ブラックアウト』が控え、『オール・クリアー』が僕を待っている。おっと、その前に『リメイク』の話をしなくちゃ。またあとで!