さっきなんとなく宮沢賢治の本を読んでて、「あーやっぱり賢治天才だなー」などと思い、少し前に「本が好き」という書評サイトで書評を書いたことを思い出したよ。
最初の頃はこのブログに来てもらうために勇んでこつこつ書評を書いていたんだけど、時間もかかるし、大したメリットも感じられなくなったので投稿をやめてしまった。毎日こっちを更新している方が楽しい。
それでもいくたりかの人は見てくださったので良かったとは思うんだけど、おそらく現在はこちらのブログの方がPVが多いので埋もれさせるのももったいなく思い、多少加筆して転載することにしました。僕、こんなこと書いてた。
宮沢賢治といえば、一般に最も浸透している作品としては例えばヒューマニズムあふれる『雨ニモマケズ』であったり、感動的な『銀河鉄道の夜』であったり、ユーモアたっぷり『注文の多い料理店』であったりするだろう。
また教科書に採択された作品としては「クラムボンはわらったよ」の『やまなし』や、『オツベルと象』があり、読んだ覚えのある人も多いだろう。
その優れた表現、特に「グララアガア」「キーイキーイ」「金平糖をコチコチ食べました」のようなオノマトペ(擬音語)の豊富さや、キラキラと輝くような文体、そして叙情性などが賢治作品の大きな魅力である。
賢治作品の魅力を語り尽くすことは容易ではないが、僕がある種の賢治作品に触れるときに感じるのは「死の匂い」だ。
童話作家としての賢治のイメージと程遠いかもしれないが、思いのほか賢治作品では「死」が扱われている。
例えば最初の作品と言われている『洞熊学校を卒業した3人』(蜘蛛となめくじと狸を改題)。
食べ物がなくて弱ってしまったかたつむりが、なめくじの家を訪れる。ふきの露をくれと言うかたつむりに対してなめくじは、露を与えたあとに、突然「すもうをとりましょうか」と言い出す。そして、何度かひどくかたつむりを地面に叩きつける。以下その部分を少々抜粋。
「もう一ぺんやりませう。ハッハハ。」
「もうだめ。」
「まあもう一ぺんやりませうよ。ハッハハ。よっしょ。そら。ハッハハ。」かたつむりはひどく投げつけられました。
「もう一ぺんやりませう。ハッハハ。」
「もう死にます。さよなら。」
かたつむりの最期の言葉は「もう死にます。さよなら。」である。不謹慎だが初めてこの部分を読んだとき僕は声を出して笑ってしまった。悲壮感が全くないのだ。
しかし、この話は登場する蜘蛛もなめくじも狸もかたつむりもとかげも兎も狼もみんな死ぬ。これが、童話である。教育上どうかと思うが、小学3年生の僕の娘は面白がっていた。
思いつくままに登場人物が死ぬ作品を挙げてみたい。
これから賢治作品を読みたいと思っている方はネタバレがありますよ。
『グスコーブドリの伝記』
ますむらひろし版。こんなの出てるんですね
飢饉で飢えた父親が「おれは森へ行って遊んでくるぞ」と言って帰ってこない。立派に育ったグスコーブドリ本人も火山の噴火を止めるため、自己犠牲で死ぬ。
『よだかの星』
本物の鷹に「鷹でもないくせによだかとは気に食わない。お前はあしたから『市蔵』と名乗ってみんなに挨拶しろ。さもないと殺す」と無茶ぶりをされたよだかは、空高く舞い上がり星となる。市蔵って。
『毒もみの好きな署長さん』
なんとも秀逸なタイトルだ。禁止されている毒もみという漁法を陰で行っていた警察署長さんは「ああ、面白かった。おれはもう、毒もみのことときたら、全く夢中なんだ。いよいよこんどは、地獄で毒もみをやるかな。」という言葉を残して死刑になる。
さて、量が多いので明日に続きます
知名度を上げる乗って大変ですよね
賢治の足元にも及びませんが