昨日結局書いたものの、ほぼ本編に触れないまま終わってしまった古典、堤中納言物語に「収録されている「虫めづる姫君」の話。
絵本が出てました
姫は日がな一日、「鳥毛虫(かはむし)=毛虫」ばかり愛でている。
「カッコつけてるみたいでイヤ」ということで当時としての身だしなみの眉毛を抜くということや、お歯黒を塗るということを一切せず、耳に髪をかけて(当時としては非常に行儀が悪い)、親がなんとか人並みの姫君になって欲しいというお願いも
「苦しからず。よろづのことどもをたづねて、すゑを見ればこそ、ことはゆゑあれ・・」
(べつにそんなの気にしないし。あらゆることを考え極めて、その行く末を見ることこそに物事っていうのは意味があるのよ・・・)
などと独自の理屈で説き伏せ、親をやり込めてしまう。
なんとも姫は型破り。毛虫の他にも色々な虫を集めさせてその歌を大声で歌ったり
通常の深窓の姫なら絶対そんなことはしない)、家来の童(わらわ)たちには「けら男(おケラのこと)」「ひき麿(ヒキガエル)」「いなご麿(ショウリョウバッタ)」「雨彦(あまひこ=ヤスデ)」などという名前をつけて興じている。
召し使われる童もヤだろうね、「ヤスデ彦」みたいな名前で呼ばれるのはさ。後半で姫が普通に
「けらを、かしこに出て見て来」
(けら男、あっちに出て見てきて)
と発言しているのを見て笑った。
さてそんな中、姫の噂を聴いた物好きな貴公子「右馬佑(うまのすけ)」が
「さりとも、これにはおぢなむ」
(そうは言ってもさ、これには驚くだろう)
と、精巧に作り上げたヘビの人形を袋に入れ、「動くべきさまなどしつけて」、袋に入れて変な歌を添えて姫に贈り物として届けた。
姫がその袋を開けた瞬間、蛇がにゅうと顔を出したので、お仕えしている女房たちは大騒ぎ。しかし姫は努めて平静を装い、
「生前の親ならむ。な騒ぎそ」
(親の生まれ変わりでしょう。騒がないで」
と言いつつも震えて顔を背けている。
「蛇になったからといって、その姿だけで怖がるなんてだめよ」
と言ってその蛇をこわごわそばに引き寄せなさる。
つっても実際姫、ヘビは怖いらしく立っては座り、座っては立ちその周りをウロウロし、セミっぽい変な声でお話しになるので、それを聴いた女房どもは我慢が出来ず、姫そっちのけで外に転び出て大笑いをしている。なんだこの場面。
もしここで姫が蛇を怖がったら、普段自分が主張しているその姿で判断せずに本質を見なさいという主張が崩れてしまう。だから姫、必死。
結局、右馬佑のいたずらだとわかったが、歌も添えてあるので一応返歌をせねば、ということで姫はゴワゴワの紙に漢字カタカナ混じりの歌を返す。これだけでも型破りなのにその内容といえば
「契リアラバヨキ極楽ニユキアハムマツハレニクシ虫ノスガタハ
・・・福地の園ニ」
というもの。
(もしご縁があったら極楽で会いましょう。でもあなたの姿が蛇のような長い様子ではそばにいるのも大変です・・・幸福の園でお会いしましょう)
歌の内容からして、まともな感覚の姫ではないということがここでも伝わる。
しかし逆に興味をそそられた右馬佑(モノ好き)は友人と連れ立って姫の邸宅へと出かけ、虫探しに興じている姫の姿を盗み見る。
すると、化粧もせず、眉も抜かない姫ではあるが、結構可愛いじゃん!
このあたりはやはり物語。こういう磨けば光る原石のような女性がさえない姿でいるというパターン、平安の昔からあるのだなあ。
しかもこのあと
「かくまでやつしたれど」
(このようにわざとみすぼらしい格好をしているけれど)
という記述まである。ということは姫は本当はこんな格好を本心からしているわけではないのかもしれない。
まあこういうのをあれこれと考え研究するのは文学部の学生の使命だろうけれど僕はただの古典好きのおじさんなので気にしません。
そうして右馬佑がその気になったところで唐突に
「二の巻にあるべし」
(続きは二巻で/)
となって終わってしまうんですよ!
なにそれ。実際には、二巻なんてないのです。
初めてこれを読んだとき僕は
「へ、これでおしまい?」
と思ったものだ。イメージだともう少し長くて姫の活躍する姿が見られるものだと思っていたのです。
解説によると、どうやらこれは作者の挑戦で、どうぞ続きはあなたが書いてください、というものであるのではないかということだ。となれば、実際に別の人物が書いたこの物語の続きがあったのかもしれない。それはそれで読んでみたい気がするね。
これもある意味そのパターンの話ですよ