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虫めづる姫君の話

 僕は浴室で読書をする習慣がある。風呂のフタをして顔と手だけ出して読むのですが、特に冬場は湯船に浸かって本を読むと思わず時間が経ってちょうどいいホヤホヤ具合になって熟睡できるので一石二鳥。去年あたりは時間が過ぎるのを期待してSFばかり読んでいたのだけれど、僕最近の傾向としては古典を読むようにしているのです。というのも僕の本棚には何冊もの函入りの本があって、それは自分で買ったり、あるツテでタダで手に入ったりと入手経路は様々なのですが結構な量なのです。僕の残された人生は、この先、健康的に何事もないと仮定して多くてあと30年あまり、すると出来ることも自ずと限られてくる。

 

 問題を抱えながらも50年それなりに生きてきてやり残したことは何か。まあ無限にあるのだけれど、自分にてっとり早く出来る範囲でのことを考えた場合、読んでいない本がたくさん本棚に詰まっているのでとりあえずそれを少しずつ処理していこうかと考えたのですよ。そこで先ほどの古典全集を読んでいこう、というプロジェクトが立ち上がったのであります。

 今までにも断片的ながらもそれなりの数を読んではいるのですが、やはり通読していないものの方が多い。ということで現在風呂では『源氏物語』、寝床に入って寝る前には『大鏡』そして、本当に何もすることのない時間には『紫式部日記』などを注釈を頼りに読んでいるのです。

 

 こんなこと書くといかにもいかにも読書自慢ですが、まあ半ばそうとはいえ寝る前の『大鏡』なんて10分もすると眠気が襲ってくるので実際は良い睡眠導入剤の代わりになっているのです。でもそれを毎日続けるうちにようやく7割くらいは読み終えていた。継続は力なりですね。

 さて、今回は今読んでいる書籍の内容ではなく、この流れで読んだ『堤中納言物語』の話ですよ。

堤中納言物語 (岩波文庫)

堤中納言物語 (岩波文庫)

 
堤中納言物語―マンガ日本の古典 (7) 中公文庫

堤中納言物語―マンガ日本の古典 (7) 中公文庫

 

 

 古典に馴染みのない方にとっては、なんだその物語レベルのマイナーな作品ですが、古典界隈だと結構ファンもいると思います(個人の感想ですが)。

 なぜかというとこの物語集は短編集ですので様々なタイプの話が収録されているのですが、その中でひときわ異彩を放つ虫めづる姫君という掌編があるからなのです。

 

 冒頭の箇所はこんな感じ

 蝶めづる姫君の住み給ふかたはらに、按察使の大納言の御むすめ、心にくくなべてならぬさまに、親たちかしづき給ふことかぎりなし。この姫君ののたまふこと、「人々の、花や蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ。人はまことあり、本地たづねたるこそ、心ばへをかしけれ」

 

 蝶をお好みになる姫君がお住まいになっている、そのお隣の按察使の大納言の御むすめは、奥ゆかしく一通りでないご様子で親が大切にお育て申しておりました。

・・・いかにも固い訳になってしまった。もう少しくだけた調子にならないものかな。

 この姫君が言う、

「みんなお花とか、ちょうちょを愛でたり可愛がったりするけどね、どこか嘘くさいよね。表面しか見ていないの。やっぱり本当の心の奥底にあるモノが一番大事よ」

(的な感じです)。

 そう言って様々な虫(毛虫とかがメイン)を集めてはそれを眺めて日がな一日過ごすわけです。

 

 大丈夫だろうか、この姫。強がってないか。

 昔僕は

 「メジャーなものより、マイナーな方が絶対価値があるぜ」

 という偏った価値観から高校生の頃はキュアーとかソフトセルとか聴いていたけれど、その一方でジャーニーとかスティクスといった超メジャーな産業ロックも結構好きだった。

ところが高校の洋楽好きの友人の間ではそういうメジャーなバンドはあまり評価されていなかった。特にそのグループの中心にいるD君は聴きもしないのに僕がそういうバンドの話をすると

「そんなのダメでしょ」

と頭ごなしにすぐ否定するのだった。そうして

「やっぱロード・オブ・ニュー・チャーチだろ」

とか

「エイリアン・セックス・フィーンドでしょ」

 などと聴いたこともないバンドを自慢してくるのだ。

 僕は僕でなんとなくそれが悔しくて彼に負けじと売れる前のサイケデリック・ファーズとかダンス・ソサエティとかオルタード・イメージなんかを発掘して、マイナーイギリスバンド知ってるぜ自慢をしていた。

 

 しかし後にD君はなぜかヘビメタに目覚め、ラウドネスバンドのベースを担当していた。しかも結構上手くて、大学進学後にはジャンルを自らブルースパンクと名づけ、そのコンセプトバンドを組んで「いかすバンド天国」にも出演しすぐに消えたそうだ。風の便りにその後彼は大学を中退したということを聞いたがいまどうしているのだろう。

 

 さて、いつも通り横道に話が逸れましたが、この虫めづる姫君も、どうもそんな印象を感じるのです。つまり、人と自分は違うのだ、という部分を強調したいがために、あえてメジャーで心地よいものを拒みマイナーでマニアックなものを好む自分を愛する態度。まあ、僕にもそういう部分があるのですが、メジャーにだってたくさんいいものがあるし、あるからゆえにメジャーなのだ。

 

 何を言っているのかよくわからなくなりそうですので続きは明日ですよー

 

姫の話ほとんどなし。今日は谷の日です

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