ソウル・コフィング(魂のコホコホ)、3枚出てます
日常の何気ない瞬間に、僕が過ごしてきた50年近い人生の中での、僅かに光り輝いていた瞬間が唐突に頭をよぎることがある・・・。いったいその輝きはなんだろう、言ってみれば晴れた日に部屋の中で寝転んでいるときにふと目に入る、天井に不定形のゆらめきを見せているテーブルに置いたガラスのコップの反射のようなものだ。
そしてその多くは20代の頃のきらめき。特に大学入学~20代後半までの若く、自由気ままで無責任に生きていたときのこと。僕は恵まれていた。
学生時代、僕の所属していたバンドサークルはほとんど女の子がいなかった。サークル員は30人くらいいたかな、そのうち9割が男だった。だから女の子の争奪戦がすごくて、1人の女の子を3人か4人で懸想するというトンデモない女性優位のサークルだった。先輩後輩関係なく特定の女の子に人気が集中したので、その駆け引きや思惑を客観的に見ているのはある意味面白かった。その僕はというと、参戦こそしなかったものの、モテもしなかった。女の子との関わりという点では恵まれてはいなかった。
2年生になり、個性の強い後輩たちが入ってきて、僕は彼らとほぼ毎日一緒に過ごし、酒を飲み、毎日がお祭りのようになった。
徐々に僕らは男同士の異様な結束力を見せ始め、自らを「軍団」(たけし軍団の影響)と呼び、モテないんじゃないんだ、モテたくないのだ、と妙な見栄を張る雰囲気が醸成された。
そして俺たちは「硬派」だ!という意味不明の矜持と共に、次第に女の子とは話してはいけないという不文律ができて、ちょっとでもクラスの女の子と話したり歩いていたりすると「ナンパ!」などといわれのないなじりを受けたものだ。その結果、あまりに煮詰まってしまい、「女で話していいのは母親だけ」というヘンな掟まで出来る始末だった。(とかなんとか言って、みんな今では結婚してそれぞれに家庭を持っている。よかったね。)
硬派とはいうものの、19か20の若者が女性への興味を抑えられるわけがない。ではどういう形でそれが表出してきたかといえば、それは「アイドル」に対する無償の愛だった。
現実の女性との出会いや、話す機会のなさ、自分たちのコミュニケーション能力不足を棚に上げて「やっぱドルアイっしょ!」と強がっていた僕ら。しかしそれはそれでなんとも輝かしい思い出だ。
軍団内でのアイドルの呼称は「ドルアイ」となり、今の時代と同様みんなそれぞれ推しのドルアイを持つようになった。僕はそれほど熱心ではなかったのだけれど(一応高岡早紀とか推していた)後輩たちは何かに取り付かれたようにレコードを買い、写真集を買い、コンサートに足を運ぶようになった。
当時の僕らのドルアイ活動の概念として「領土」というものがあった。僕らはそれぞれ好きなドルアイをなるべく他人と被らないように見つけ、先に自分が目をつけたドルアイに関しては不可侵という暗黙の了解があった。だから自分の推すアイドルを軍団仲間が少しでも興味を持つ様子を示すと「領土に攻めてきた!」などと大騒ぎになり、攻めた方は攻めた方で
「翔子(ウィンクの相田翔子さんのことです)の領土はいただいた!」
「わけねえ!返すっつうのは!」
という20を超えた男の会話とは思えない幼稚な戦いを毎日繰り広げていたのだ。僕らそれなりに入るのには難しい大学に通っていたんですけど・・・。死ぬほど勉強して大学に入ってこんな毎日。この様子を親が目の当たりにしたら即退学させられただろう。
こんな素敵なエピソードがある。
ナッカンに興味を持った方はこちらをどうぞ
上のカテドラルの記事で書いたナッカンという後輩と、僕の後輩であり、ナッカンの無二の親友ニジが、どちらが自分の推しのドルアイを愛しているかと論争になり、
部屋を暗くしてドルアイを思い、先に泣いたほうが勝ち!
というある意味畏怖すら覚えるような企画を立て、たった二人で勝負した。結果ニジが一筋の涙をぽろっと流して勝ったという。どうです、こんな友人たち欲しいでしょう。ちなみにそのニジは現在司法書士となり、地元で立派に事務所を開設している。すぐにでも仕事を依頼してください!
さて、僕らのドルアイ活動の一環として「ロール」と呼ばれるものがあった。ロールというのはいわゆる「ローラー作戦」のことで、要は僕らの生活圏にある古本屋をしらみつぶしに探索し、写真集・グラビア雑誌・CDそのほかを入手する行為を指した。
「暇ですねー、あしたロールでも行きます?」
「マジ!行く行く!」
とおよそ爽やかな学生生活とは無縁で不毛な古本屋巡りを僕らは月に何度もしていた。当時はバブル真っ盛りで、同じクラスの友人にはディスコ(死語。まだクラブという言葉はなかった)の黒服のバイトをしているようなヤツもいたのに、僕は軍団と共にロール、であった。
ここまでソウル・コフィング一切関係なし!
さてロールをしていると思いがけないCDを発見することがある。目を皿のようにしてドルアイのCDをチェックする後輩や友人たちの横で、僕は何か掘り出し物がないかとやはり同じ目つきで棚を見ていた。その時、このヘンなジャケットを見つけたのだ。
なんですかこれ、前衛芸術か?ソニック・ユース的ジャケットでもあるけれどどうにも気になる。呼ばれているような気がして、確か500円くらいだったこともありイチかバチかでジャケ買いをした。
ロールといえば、前述のナッカンは当時ヒットしていた宮沢りえのCD(確かドリーム・ラッシュ?)を発見し、
「うぉー!これ買うしかねえ!」
と取り出したところ、何を間違えたか全く知らないこちらを取り出してしまい、
「うおーまちがえたー!」
と絶叫。爆笑する軍団。しかし僕らは容赦なくその間違いをあげつらい
「ほほー、それですか!ジョニー・ギル買い!買い!買いっしょ!」
と迫り、ナッカンは
「ジョニー・ギル買うしかねえ!」
と強い決意でジョニー・ギルを購入していた。みんなゲラゲラ笑っていた。
そしてその後、僕らは聴きたくもないのにこの「ラップマイボディタイト」という80Sバリバリのブラックミュージックを何度もナッカンから
「ラップマイボディタイト聴くっつうのは」
と強制的に聴かされた。
その後、ナッカンはこの曲に触発されて
「タイトにボデイをラップしろ!」
というギャグを開発、自らの体に直でぐるぐるとラップを巻いて苦しがるという大技を披露、ボクらを死ぬほど大笑いさせてくれた。ラップ違いでしょ!そして何度もこの曲を聴かされた僕らは
「結構いい曲だよねえ」
などと完全に感覚がマヒしたコメントを吐いていた。そして僕らはしばらく取り憑かれたように
「らっぷまぼーでぃたいっ!」
とことあるごとに歌っていた。
相変わらずソウルコフィングと関係なし!
そういう状況で購入したソウル・コフィングを、おニャン子・ウィンクを筆頭に河田純子(楽天使)、山中すみか、寺尾友美、宍戸留美(今もはなかっぱ関係で活躍)、といったマイナーなドルアイがかかりまくりの友人宅でかけるのは忍びないので、僕は一人家に帰宅した時に初めて聴くことができた。
先入観なしで聴いた僕の耳に飛び込んできたのはどっしりと重いドラムとウッドベースがイントロを奏でる「SUPER BON BON」だった。
四分音符の単純なベースラインなのに印象的なフレーズがグイグイと奇妙なグルーヴを生み出し、どこかおっさんくささを感じさせるクセのあるヴォーカル、きゅーんと切り裂くように鳴るギターが独特の世界観を確立していた。
このアルバム、彼らの2NDなのだそうだ。実際一番印象的なのは一曲目だけで、他の曲はあんまり区別がつかないんですけどね。後で知ったことなのだけれど、彼らはニューヨークのスタジオミュージシャン仲間で結成したグループなのだそうだ。日本だとあんまり知られていないようです。そもそも日本語版ウィキすらない。情報少な!
ジャケット裏写真を見ると皆頭髪薄し。それがどうにも彼らの第一印象だった。大きなお世話だね。とにかくこの奇妙なアルバムを僕は気に入ったのですぐに1STも購入。こちらもなかなか素晴らしいアルバムです。
実は僕こちらのほうが好き。2NDの平坦な中身より、こちらのほうがバリエーションを感じられます。初めて聴く方はこちらをお勧めしますよ。一曲目のこれでノックアウトされるかも!
ア マーン、ドライヴスプレーイン、イントゥザー、クライスラービルディング
同時期に「CAKE」というバンドがいたと思うんだけど、彼らと同様ソウル・コフィンも派手さはないのに何故か聴きたくなってしまう不思議な魅力を持ったバンドのタイプだと思う。
そしてなんといってもたまたま発見した「SUPER BON BON」のプロペラヘッズリミックス!これには驚いた。
カッコいい!カッコいい!
全くなんのつながりもないと思って聴いていた僕のお気に入りのアーティストが思わぬところでコラボレーション。しかもこのリミックスがまたむちゃくちゃ完成度が高いのだ。見事にプロペラヘッズ風にあの野暮ったいサウンドがまとめられているのだ。
さてそんな輝いていた日々もいつかは終わる。後輩たちもさすがに就職し、僕もついにバンドを諦め地元で就職した。しかし、独身だった僕は東京に残った何人かの後輩や友人たちとは月イチ位で遊び、CD屋に足繁く通った。そして発見した、彼らの3RDを。
即購入したこのアルバムの一曲目。
3枚目ともなるとかなりのサウンド的変化が現れている。僕が一聴して思ったのはドラムンベースの影響の大きさだった。ドラムがタイトになり、ツツタツ、ツツタツという人力ドラムンベースのように感じたのだ。これはこれで素晴らしいアルバムだったんだけど、1STの持つ毒や野暮ったさが薄れた気はしますね。
今回思わず4300字