音楽と本

僕のカルチャーセレクトショップ

万城目作品よんでます 1

 以前から何度か言及していますが、万城目学氏の小説は面白い。その面白さゆえにほとんどの作品が映画化されており、プリンセス・トヨトミあたりはタイトルを聞いたことのある方も多いでしょう(まあ、映画のプリンセス~に関しては登場人物の性別変更やらでキャラが全く変わってしまい、なんだそれ?という部分があるけれど)。

 

 そんな万城目作品を僕が初めて読んだのは鹿男あをによしだった。奈良を舞台に万葉時代からの因縁が現代に伝わり、やがては西日本を揺るがす事態にまで発展するというファンタジーで、こちらはドラマ化されて評判を呼んだ。そういえば僕これ未見だったので今度見てみよう。

  

 そしてあまりの面白さに立て続けにデビュー作鴨川ホルモー」、「ホルモー六景」、「偉大なるしゅららぼん」「プリンセス・トヨトミと読み継いで、最近はとっぴんぱらりの風太郎をその分厚さにもかかわらず、あっという間に読み終えてしまった。特にこの「風太郎」は彼の最高傑作の呼び声高く、たしかにそれに相応しいエンターテイメント性を持つ強力な磁場を持った作品だった。とにかく、ページを繰る手が止まらないほど先を読みたくなるのだ。こういう作品に生きているうちに巡り合えると嬉しいね。

 

      

 

         主演はなんと山田孝之。これは上手に映像化されてます

     

         ミスキャストもあるが、おおむね楽しい「しゅららぼん」

     

         小説はほぼ全作品揃えてます。あと「パーマネント神喜劇」だけかな

    f:id:otominarukami:20191006230429j:plain

 

 さて、とっぴんぱらりの風太郎ですよ。

 これは読む価値ありますよ

 

 この「風太郎」も万城目氏の作品ではおなじみの大阪・奈良・京都といった関西の都市を舞台として話が進んでゆく。とはいえ現代ではなく戦国が終わり、豊臣から徳川の世に移ろうとする時代で設定されており、一見時代小説の装いを見せるが、そこにはいつもの万城目節が健在している。たとえばひょうたんの精である因心居士という人物をはじめ、蝉、黒弓、ひさご様といった癖の強いキャラが並び、ファンタジックな要素が随所にちりばめられている。ただ、今までの氏の小説が持っていたユーモアやオプティミズムは鳴りをひそめ、むしろ殺戮や血みどろの描写が多くなっている。主人公風太郎が忍びということもあって、人を斬る場面が多いのは当然だが、大坂冬の陣に否応なしに参加した彼が体験する戦の場はまるで戦国版プライベート・ライアン

 多数の足軽たち(その多くは若者であったり、貧しい農民であったりする)が木の葉より軽い命を奪われ、その有様は凄惨を極める。今までのほんわかした作品からは考えられないような殺伐とした場面を万城目氏はその力強い筆致で執拗に書き出し、そこに容赦なく風太郎を放り込む。そして忍びであるがゆえに避けられぬ運命を彼は進んでいくのだ。

 そして後半の怒涛の展開には息を飲むに違いない。だって、誰もかれもがあんな目にあって、しゅららぼん的柔らかさなど皆無だからだ。衝撃のラストで読者は満身創痍の風太郎と一緒に霧の中に佇み、まるでその場にいて事の成り行きを見守っているような気分になるのだ。そして、物語は静かに幕をおろし、「プリンセス・トヨトミ」へと繋がる!これは彼の小説を読んできた者への小さなプレゼントかもしれない。活字を愛する人にぜひお薦めしたい小説です。これだけ分厚くても終わるのが惜しく思う本は久しぶりでした。

 

 そんでもってその勢いのまま「悟浄出立」も読んだ。

 


 途中まで読んで思ったのは、万城目氏なりの「純文学」を目指しているのではないかということだ。エンターテイメント作家としてその地位を極めた万城目氏が中国の古典に依拠して、純文学に挑戦している。「純文学」と、そうでない作品との線引きって曖昧だけれど(中間小説なんて言葉もあるが)、主人公の心理描写が重厚で、描写は細緻を極め、何らかのテーマ性を持ったものを純文学作品だと僕は思うのです。そしてこの短編集はその資格を十分に満たしていると感じるのだ。
 実際、氏の得意とするファンタジックな描写や展開が認められるのは最初の「悟浄出立」だけ。しかもそれは物語の味付け程度で、ほぼ沙悟浄の独白で占められている。この短編集を貫くコンセプトとしては「脇役が主役」という構図だろう。「沙悟浄から見た悟空と八戒」なのだが、当然氏は誰もが高校時代に教科書で学習した「山月記」(虎になった男の悲劇が描かれたやつですよ、覚えている人も多いでしょ)を書いた中島敦の「悟浄出世」ならびに「悟浄歎異」を意識しての執筆だろう。実際「悟浄歎異」に通じる雰囲気がありありと感じられる。中島敦ほどのガチガチの漢文素養系作品ではないが、ひょっとしたら今までの万城目氏の作品との毛色の違いを感じてやめた人もいるのではないか?

 

 趙雲西航」の冒頭はこうだ。引用しますね。

太鼓がドンと鳴り、ぶ厚いかけ声とともに、楼船の側面から百足のように突き出した櫂が一斉に水面を叩いた。流れを掻き分ける櫂を追いかけるように、川面に小さな渦巻きが生まれては、踊る泡を抱きこみ消えていく様を、男は船のへりからじっと見下ろしていたが・・・

 

 この冒頭の部分の見事な描写からも本気度が伝わってくる。
 三国志における趙雲が主人公。彼の目から見た諸葛孔明張飛の姿が彼の心の揺らぎをとおして語られる。

 そして「虞姫寂静」では虞美人の視点からの「四面楚歌」における項羽の姿、並びに彼女自身の心理が描かれている。「抜山蓋世(ばつざんがいせ)」の詩が作られた酒宴での虞美人の舞の迫力とその最期は鬼気迫る。

 また次の「法家孤憤」では秦王暗殺に失敗した「刺客荊軻を同名の平凡な男の視点で語る。どれもこれも高校漢文ではほぼ必ず学習する有名な古典漢文に取材した作品なのであります。僕は思わず「刺客荊軻」を読み返して、なるほどあの部分がこのように臨場感を持って描かれているのかと納得し、読みの楽しみに耽る自分に酔いしれておりました。物語を予備知識なしで読むのも良いけれども、このようなタイプの話は背景や出展を知ったうえで読めば、更に作品の味わいが増す。

 

 ああ、なんだか上手くまとめられませんでしたあ。残りの作品については、眠くてこれ以上書ききれないのでまた次の記事に続きます。

 

もうちっとで14000PVに届くよ

kakuyomu.jp