この小説は二度読みが必要かも。
刊行されたのが1995年の作品なので、今読むと古い部分があるものの、その一方でレイア姫やモフ・ターキンがスクリーンで再び見られるような、CG万能期となっている今のエンターテインメント映画を予見した作品でもある。
時代は21世紀初頭、だから今読む僕らはその時代はすでに経験している。近未来SFの作品というのはこういう奇妙な感覚に襲われることがある。ブレードランナーのロサンジェルスの2019はもうすぐそこ。
この「リメイク」の時代、映画がハリウッドで新たに作られることはほとんどなくなっていた。CG技術の進歩で過去の名作を改変し、過去のスターの顔を貼りこんで「リメイク」作品として次々と公開しているのだ。人々はそれで満足し、また、その技術を応用して街の
デジタルショップで自分の顔を貼りこんだ作品を作ってもらいそれをディスクに保存し、楽しむことができる。ちょうど一昔前にカラオケで自分の歌をCDに録音することができたように。
主人公トムは大学生だが、ほとんど授業に出ることはなく、その該博な映画知識を元に、映画会社の社員、メイヤーからCGの貼込を請け負っている。その報酬はほとんどがドラッグに消えるのだけれど。
ある日彼の住む学生寮の階下でパーティがあり、そこで彼はアリスという美しい女性にである。彼女はこのCG全盛時代になんとミュージカル俳優を志しているのだ。ひと目でアリスを気に入ったトムはアリスを自分の部屋へと招き入れ、彼女の大のお気に入りであるオリジナルのフレッド・アステアの映画を何本も見せる。映画の修正作業の必要上、トムはあらゆる映画のアクセス権を持っているのだ。
こういうやつですね。なんて便利な時代。すぐにイメージがつかめる
ミュージカルに出たいという彼女をそんなことはもはや不可能だと断言したトムは彼女を連れて街に出て、彼女の顔を張り込める店を探すのだが、アリスはそれを拒否する。
それにしても膨大な映画的知識がこの小説には散りばめられている。次から次へと登場する引用に全くついていけないのだ。訳者の大森望氏は親切にも注釈を巻末につけてくれているのだが、そのページ数なんと40ページ!231ページから271ページまでが全て注釈なのだ。だから小説の内容云々よりも、むしろこれらの情報量の膨大さに圧倒されてしまう。
ただ、この衒学的引用を差し引くと、実は非常にストレートなラヴストーリーになっている。
アリスは新作のミュージカル映画に出たいと希望しているが、現代ではその手の映画の需要はなく、従って制作もされていない。できることといえば過去のアステアの映画に彼女の顔をCGで張り込むことだけだ。トムは彼女になんとかその夢が実現不可能だと説き伏せるが、彼女は諦めないのだ。
トムは彼女のことが気に掛かり、ドラッグと酒に溺れながら彼女のところへ姿を現すがあまりに我を忘れるほど酔って醜態を晒した挙句、彼女は姿を消した。彼に情報をくれるヘッダという女性(おそらくトムのことが好き)からアリスがトムをヘッダの部屋へとなんとか連れて戻って以来のことだった。
その後も映画の修正を続けるトムだったがある映画の場面に突然アリスが映りこんでいるのを発見し驚愕する。酒の飲み過ぎか!?ドラッグのせいか?何度確認してもそこに映っているのはアリスなのだ。念のためヘッダにも確認してもらうと、アリスだという。
トムはふと以前聞いたタイムトラベルの噂を思い出した。もうすぐタイムトラベルが実現可能という話だ。ひょっとしてアリスは昔に戻ってオーディションを受け、映画に出たのではないか?そしてその後も次々とアリスがミュージカル映画に出演しているのをトムは目の当たりにする! どうなっちゃうの?
コニーの話でこの小説出すのもなんですが