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僕の宮沢賢治 後編

宮沢賢治についていろいろ書いていたらつい5000字を越してしまったので二回に分けました。その続き。

 

オツベルと象

オツベルと象 (ミキハウスの絵本)

オツベルと象 (ミキハウスの絵本)

 

 欲深いオツベルは白象をギリギリまでこき使いまくった結果、仲間のゾウたちが大挙しておしよせる。オツベルは因果応報でピストルを握ったまま象の下敷きになって「くしゃくしゃにつぶれ」てしまう。資本家が欲張りすぎてひどい目にあうという話。最後の「おや、川へ入っちゃいけないったら」は誰に行ったのかなどの疑問も残る。

 そうそう、ピロカルピンという日本のバンドがいるんだけど、ヴォーカルの松本さんという女性の方がおそらく賢治好きと見た。歌詞の文学性、そしてレーベル名の「グララーガ」(オツベルと象に出てくるゾウたちの鳴き声が「グララアガア」)からしても容易に想像がつく。

      「存在証明」ていうタイトル、よく付けたね。曲は正統派UKギターロック

    www.youtube.com


『やまなし』

小学校の教科書に載ってましたね

やまなし (ミキハウスの絵本)

やまなし (ミキハウスの絵本)

 

 「クラムボンは殺されたよ」のあとに魚がかわせみに食われる。僕が小学生の時に、担任の先生がこの詩に出てくる「クラムボン」ってなんだと思う?という質問をした。色々と答えが出たけど結局その先生が教えてくれたのは「泡」だった。今思えば、本当にそうか?これにも色々な意見があり、結局のところ確定されてはない。というか賢治がいない今、結論は出るはずもない。

『カイロ団長』

カイロ団長 (日本の童話名作選)

カイロ団長 (日本の童話名作選)

 

 死人は出ないが、あまがえるを搾取しようとしたカイロ団長が「首をシュッポオンとはねるぞ」と連呼し、挙げ句の果てに自分で足を折る。あまがえるたちのその日暮らしな生き方が羨ましい。

『ツェねずみ』

 名前がツェって

ツェねずみ (ミキハウスの宮沢賢治絵本)
 

  なんでも人のせいにするツェねずみはすぐに「まどうてください、まどうてください」(償うと書いてまどうと読む)とゴネる。友達がいなくなったツェねずみは最後にネズミ捕りしか相手にされず、「まどうてください」をやっているうちにネズミ捕りにかかってしまう。唐沢なをき氏のマンガでこのセリフが出てきた時にちょっとした感動を覚えたっけ。

『クンねずみ』
『ツェねずみ』の姉妹編。さすがに単品での本の出版はありませんでした。

 威張り屋で人一倍プライドの高いクンねずみはツェねずみの死を新聞で知り喜ぶが、最後には子猫たちに四方から手足を食われてしまうというカランバ級の悲惨な最期をとげる。

銀河鉄道の夜

 かなり昔に映画化されましたね。ネコのキャラクターは賛否両論。僕は好き。

銀河鉄道の夜 [Blu-ray]

銀河鉄道の夜 [Blu-ray]

 

  言わずと知れたこの名作も列車に乗っているジョバンニ以外はみんな死んでいる。宗教的イメージが色濃く出ている作品だ。ちなみに僕はますむらひろし氏が漫画化した(アニメじゃない方)単行本の最後の方でジョバンニが両胸をたたいて叫ぶシーンで泣いてしまったことがある。らっこの上着が来るよ!

注文の多い料理店

注文の多い料理店

注文の多い料理店

 

  これまた有名な作品だが冒頭、山がもの凄くて紳士の連れてきた白熊のような犬が泡を吹いて死んでしまう。なんだそれ。でも後半でこの犬に助けられるんだけどね。
紳士たちも食われて命を落とす寸前までいく。恐怖で引きつった顔は一生治らなかった。怖い。ちなみに数年前確信犯的に作られたNHKのアニメは今でも語り草。

                  

 

『なめとこ山の熊』 

なめとこ山の熊 (日本の童話名作選)

なめとこ山の熊 (日本の童話名作選)

 

  生活のためそれしか手段のない熊撃ちの小十郎は、常に畏怖を感じていた熊の手にかかって死ぬ。最後は熊たちが小十郎を囲んで葬儀を行う場面で終わる。僕は小学生の時に、この話の絵を描きましょうという授業があって、小十郎を囲む熊たちの絵を描いたのだが、少々ませた友人に「熊の親睦会みたい」と言われ、憤慨したのを覚えている。葬式だぞ!

 ・・・とまあ思いつく限りを挙げてみたがきっと他にも「死」にまつわる童話はあるはずだ。おそらく賢治は法華信仰というバックボーンがあり、妹の死(それは「あめゆじゅとてちてけんじゃ」という死に臨んだ妹の言葉が悲しく迫る『永訣の朝』として結実した)や自分の健康状態などさまざまな「死」にまつわる経験が影響していたのかもしれない。

 もちろん、こういう語り口は一面的なものであって僕だってそんなところばかり読んでいるわけではありません。僕の感じる賢治作品のもうひとつの魅力としてそのユーモア精神がある。

 それは表現の端々に独特の形で現れる。


『セロひきのゴーシュ』で猫に向かって「インドの虎狩り」を弾くと猫は苦しがり、ゴーシュは面白がって弾き続ける。そして最後に猫にかけた言葉は
「もう来るなよ、ばか。」
である。悪口なのに、なんとなくほんわかしてしまう。

 『どんぐりと山猫』の片目の男が書いた手紙には

「あした、めんどなさいばんしますから、おいでんなさい。とびどぐもたないでくなさい。」とある。「とびどぐ」=「飛び道具」だが、よくこんな言い方を思いつくもんだ。


 『オツベルと象』では月に仲間へ手紙を書けと言われた象が

「お筆も紙もありませんよう。」象は細ういきれいな声で、しくしくしくしく泣き出」す。


 冒頭の『洞熊学校を卒業した3人』のインチキ教祖である狸が兎や狼を食ったあとに唱える「なまねこ、なまねこ」というお経は妙にユーモラスである。
 
 こんなふうに挙げ始めるとキリがありません。

 さあて僕は今夜『月夜のでんしんばしら』を読んで「ドッテテド ドッテテド」という夢を見たいと思います。

月夜のでんしんばしら (ミキハウスの宮沢賢治絵本)
 

  

賢治の話も出してます

kakuyomu.jp

 

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