音楽と本

僕のカルチャーセレクトショップ

昭和40/50年代ノスタルジィ 給食が嫌だったぼく

 ユニクロのロックTの記事のPV、そこそこいった。以前書いたGUのロックTの記事は僕のブログの一番人気だ。
otominarukami.hatenablog.com

  特に意識して書いたわけでもないのに、グーグルで引っかかるんだね。

  ブログをやっている以上、多くの人に見てもらいたい気持ちは誰しも同じだろうが、かといってその意気込みがPVの増加に結びつくわけでもない。何かしら人の興味を引くことを書かなければならないらしい。

  それを考えると、「ユニクロ GU/ロックT」というキーワードはある一定の人の興味をそそったということだ。増加といってもほとんど取るに足らない数ですよ。あくまで僕のブログの普段のPV数からして相対的に増えたというだけで普段は100行くか、行かないくらいなんだから。それでも一日100人近くの人がこのブログを見てくださっているということはモチベーションにはなる。精神衛生上にもいい(そんでそれがお金になれば一番いいんだけれど、そこまでには程遠い。ああ、一日10000PVくらい伸びないかなァ)。

 どうだろう、なんらかの料理のレシピを載せたり、アマゾンや楽天で買った商品のレヴューをしたり、若い棋士の話とか芸能人の話をすればみんな見てくれるんですかね。 

 突然このブログがそんなふうになったら、今までの読者の方、ビビるよね。「こいつ、急に頭おかしい」とか思うかも。まあ、人間ひとつの歌しか歌えないのでこのままのテイストで永遠に行くんですけど。

 

 「音楽と本」、僕のカルチャーセレクトショップです。

 

 そんでもって相変わらず個人的すぎる文化を披露しているこのシリーズ、まだ続くんですよ。まずは算数の教科書。

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全員あっかんべー。これを見た娘は「おとうさん、ひどいね」と笑っていた。

 

 それにしても娘の低学年の頃の教科書なんかをみても、落書きなんかひとっつもしていない。女の子だからだろうか。それとも僕が特に多いのだろうか。まあ、今こうやってみると面白いので結果オーライですけど。

 

      続いて僕のピュアな作文や詩の宝庫、国語のノート。

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           まずは1ページ目でいきなり物悲しい。

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「へんなマラソン」って何?「うれしくてプリンをもぐもぐ食べた」という表現が素敵だ。でも「おさらをわっておこら」れてシュン。元気出せ、小さい僕。

 

    国語のノートとは名ばかりで、だいぶ混沌とした内容が続く。

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「こうそくどうろ」の詩は、いいセンいっている。他にも「ジュースはつかめない」など、子供ならではの発想も散見できた。僕の作った詩、まだあります。

 

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 書き取りの1ページ目の単語がなぜこれ?「あんぱん、ありじごく、あひる。」何とも言えない味が出ている。

         f:id:otominarukami:20170629155016j:plain             給食の献立表。昔はこんなのだった。昭和51年と書いてある。拡大してみる。

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「体の調子をよくする食品」というところにご注目いただきたい。

 僕は現在に至るまで、たまねぎが苦手だ。無理に食べようとするとすぐにウェッとなってしまう。みじん切りになっていたり、薄く柔らかくなっていたりすればなんとか食べられるのだが、ザクザクと大切りの玉ねぎはどうしても受け付けないのだ。しかし、この献立を見る限り、毎日玉ねぎが入っているでしょ。

 当時の僕は献立表が配られるとまずこの「体の調子をよくする食品」の欄をチェックした。そうしてたまねぎの入っていない日がほとんどないことに失望し、とぼとぼと家路についた。なぜか。今の時代、給食は残すのは自由である。先生だって無理に食べさせることなんか、ない。でも僕の小学生時代は違ったのだ!

 低学年の僕は食べられないたまねぎを避けて、アルマイトの食器の中でこねくり回していたりしたが、それが友達や先生に見つかると強制的に食べさせられたのだった。

 一度などは、5時間目になってもみんなが授業を受けている中、僕一人だけボルシチを涙目で食べていたということがあった。そうして冷たくなったたまねぎを細かく刻んで、なんとかちびちびと食べ終え、掃除をしているみんなを尻目に給食室へ一人食器を持ち「おくれてすいませんでした」と給食のおばさんに渡したことを僕は一生忘れない。

 だから僕は給食が嫌という心理的な要因だろう、よくお腹が痛くなって学校を何度も休んだ。でもお昼になるとケロッとしてしまうので母親は心配して病院に何度か連れて行ったのだがこれといった原因もわからない。とりあえず「自律神経失調症」と診断されたが、ただただ、給食のたまねぎ嫌さだったのだ。

 高学年になると、知恵もついてきて先生や友達の見ていないスキに、たまねぎを食器の下に広げた自前のナプキンの角に巧みに包んでそれを家に持ち帰り、毎日庭の隅に捨てる、ということをやっていた。だから僕の給食ナプキンはいつも角が茶色に染みていた。

 

 

 

あの頃に戻れないけれど。

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