歌と詞は切り離し難い。
人は、あまねく魂の叫びを詩に託し、同時に音楽にしてきた。それは今の世でも同じことだ。ただ現代では商業的な音楽もあり、そこには商品として必要な歌詞が乗ることとなり、それを作ることを生業とする人もいる。そこに文学はあるか。
日本語ロックはダサいという世間の謂がある。ロックはもともと英語圏の音楽だからそう言う意見はもっともだ。最近はあまりないかもしれないが、一昔前は洋楽至上主義みたいなのがあって、そこには歌詞の問題も含まれていたに違いない。僕も10代で洋楽を聴き始めた頃は日本語のロック?だせえ、と思っていたものだ。もちろんそれは狭い見識からくる考えで、今では間違いだと知っている。日本語でも十分にロックを成り立たせることはいくらでも可能だ。
さて、大雑把に分けて、歌詞をこう考えてみたい。
1 売ることを目的として作られた楽曲に付けられる歌詞。
・・・この場合は作家がおり、それなりのクオリティは保たれているが、どこかうそ寒い雰囲気をまっとていることは否めまい。
2 シンガーソングライターが曲を作ったものの、言語センスがなく、残念な結果に なっている歌詞。
・・・何を以て詩情を感じるかは人それぞれで、「歌詞がまたいいんだよねー」という感想を持たれる楽曲も多い。ただ、作者も受け手もそれほどのものを歌詞に求めているわけではないタイプ。
3 楽曲の素晴らしさの上に、ある種の文学性をまとっている歌詞。
・・・これが理想だろう。作詞者にはかなりの知性が求められる。もしくは天性の詩人で優れた言語感覚の持ち主だけがこのような幸せな曲をモノにできる。しかし場合によっては感覚が突き抜けすぎて一般的に受け入れがたいものもある。
優れた歌詞の条件を僕なりに考えてみた。
- 比喩が巧みに用いられている
- 歌詞にストーリー性がある
- 平易な言葉を使っているが、その組み合わせ方がうまい
- 具体性を前面に押し出している(カレーライスだけを歌うとか)
- 難しい言葉を的確に使いこなしている
等等・・・
そこでこれらの条件を兼ね備えているこの「3」のタイプのアーティストについていくつか挙げてみたいと思う。もちろん僕の好みと主観が思いっきり入っているし、それほど日本のバンドを聴いているわけではないので、寡聞ではあるという条件を踏まえての話ですよ。そうそう、最近は歌詞検索のサイトがあるんだね。そちらで歌詞の確認どうぞ。
井上陽水 - 氷の世界(ライブ) NHKホール 2014/5/22
これはもう詩だろう。言葉の選び方も素晴らしい。「画期的」なんて言葉を使う感覚が欲しい。ただ、このライヴ、なんかぐにゃぐにゃしている。「リンゴ売り」が「リング売りー」に聴こえて笑ってしまう。崩し過ぎィ!
細野晴臣(はっぴえんど・TIN PAN ALLEY他)
オリエンタルな雰囲気の曲が多い。ソロは特にそれが顕著。これをやり尽くしてYMOをやったというのはすごすぎ。
こちらも説明不要でしょう。大学までしっかり勉強したなあという印象。「マイオールドタイマー」等、初期の曲は具体性のあるものも多い。ちなみに今知ったのだが、この曲の「同情」という言葉をいままでずうっと「どじょう」かと思っていた。
文学をこじらせてどうにもならなくなった青年がロックをやるとこうなる、といった見本のようなバンド。激しい。
だいぶベテランだけど、当初は「大人の童謡」のような呼称もあった。大暴れのステージングは日本のフィッシュボーン。故人である天才、上田現の作詞作曲。
ふざけたバンド名とマニアックな音楽性や個性的すぎる歌詞でイロモノのように見られがちだが、どっこいボーカルのジョニー大蔵大臣は早稲田の第二文学部だ。次にそう来るか!の言葉のチョイスは誰にも予測不能。このプロモはドラムのアナーキー吉田のカメラ目線が眼目!
他にも延々と「オトタケ」を含むフレーズを連呼する「おっと、オトタケ」には、川端康成、夏目漱石、俵万智、カミュ、島崎藤村、室生犀星、高村光太郎、中原中也など数々の有名な文学作品の冒頭部分が引用されている。
知性ゆえの悪ふざけである。しかしそれを差し引いても曲やテクニックは抜きん出ている。アコースティックギターのカッティングではジョニーの右に出るものはいるまい。
大槻ケンヂは昔テレビで、職業欄に記入するとき、自分はミュージシャンではなく「詩人」と書きたい、という話をしていた。彼もまた突き抜けた歌詞やタイトルゆえに色眼鏡で見られてしまうかも。しかし「高木ブー伝説」には紛れもなく詩が存在するし、初期の名曲「いくじなし」はその長尺の楽曲と相まってなんともいえぬ中毒性があった。
明らかに宮沢賢治フリークである。そもそもレーベル名からして「グララーガ」である。これは賢治の『オツベルと象』に出てくる象の叫び声「グララアガア」に依拠しているのは明らかだ。「カンパネルラ」という曲もある。「存在証明」なんてタイトル、ある意味恥ずかしいがそこを上手く曲に落とし込んでいる。「飛行少女」も名曲。
ヌンチャク
たまにモヤさまとかで流れたりする、柏シティハードコア。他にも「人情バイオレンス」などのように突き抜けたセンスが素晴らしい。解散後、VOの向氏が結成したkamomekamomeにその精神は受け継がれている。
大好き。初期の女子高生+特撮SFという「その手があったか」というインパクトは計り知れない。「LOVEずっきゅん」なんてタイトルに騙されてはいけない。初期の作詞は真部脩一であるが、彼の脱退後にティカαことやくしまるえつこが創る理系センスあふれる歌詞も引けを取らない。女性作詞家としては現代最高峰ではないか。
真部脩一がその後「水中、それは苦しい」のアルバムに参加しているのには笑ってしまった。上述の「農業、校長、そして手品」のスラップバリバリのベースは彼である。
曲によって歌詞のクオリティにバラつきはあるが、この落語を題材にとった『品川心中』は彼らの一つの到達点であろう。イントロがきちんと高座の出囃子の「正札付」をアレンジしていてすごい。僕は一時期この曲にハマりすぎて年に一度の友人とのライヴで演奏させてもらった。
坂本眞一郎
ゆらゆら帝国解散後のソロ第一弾。力が抜けていて良い。僕にはその昔国立リバプールというライブハウスでゆらゆら帝国と対バンした思い出がある。
ハンサムケンヤ
「これくらいで歌う」は何度見ても素晴らしい。僕も宅録を一時期さんざんしていたのでこの雰囲気、よくわかる。僕はこの曲と「蟲の溜息」ですぐにCDを買った。
今では入手至難の1STを持っている。難しい言葉を使っているわけではないが、その組み合わせの妙で一線を画している。一時期活動を停止していたようだけど、最近再開したようだ。ガンバレ!
文学性は高くないが、ハマケンのモチーフの目の付け所は鋭い。娘は幼稚園の頃、『爆弾こわい』のDVDに合わせて毎日踊っていた。カモンナ!また、『ダンボール肉まん』は娘のお気に入りでもあった。マジいっけるねぇ!
長々と書き連ねてしまった。他にも探せばいくらでも出てきそうだが、さすがに書くのに疲れました。
最後に番外としてザ・キュアーの「killing an arab」を挙げたい。
これはカミュの「異邦人」がモチーフになっており、僕はこの曲をきっかけとして高校生の時にカミュを読んだ。そしてそこから不条理文学というものを知り、カッコつけてカフカやサルトルを読んだものだ。
そうそう、初めて組んだバンドでこの曲をやったのだ。その時、ボーカルは知り合いの知り合いの女の子に頼んだのだが、その子歌詞の覚えが適当で「アイムアライヴ、アイムデーッド!」と叫ぶ渾身のサビを何故か「オーウ、ノー!」とかいう訳わからんフレーズに変換して歌っていた。オーウ、ノー!じゃねーよ!
僕なりの音楽と文学の融合の実践